ニフティで、ひとつの大きな時代が幕を閉じます


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先日ビル・ゲイツというIT会の巨人がマイクロソフトを退職しましたが、ニフティでも、今日、ひとつの大きな時代が幕を閉じます。

NIFTY-Serveの立ち上げメンバーの1人、本名信雄(「本名」部分は「ほんな」、と読みます)さんが退社されるのです。

 
Honna20080630
ネタ元

 
本名さんは1986年、まだ日本にパソコン同士で通信するという概念すらなかったころに、NIFTY-Serveというパソコン通信サービスをスタートさせ、ネットの認知と普及に尽力してきました。
彼は商社マンでありながら、ネットワークに関して豊富な技術的知識を持っていました。それをフル活用して、あるときは仕事とは関係ない卸問屋まがいのことをして社員の給料を稼いだり、あるいは手弁当で社内ネットワークを組み上げ、急激に大きくなる会社をギリギリのところで支えたりしてきました。

本名さんは、ニフティが富士通100%子会社になる前の、あのメーカーと商社がクロスオーバーした独特な雰囲気を作り出した立役者の1人です。
今はNIFTY-Serveもフォーラムもないですが、当時あのパソコン通信上で、ネット上のコミュニティという未来体験を通して、人生が変わったり、生涯の伴侶を得たり、何物にも代えがたいめずらしい経験をした人は、大勢いるのではないでしょうか?
ニフティというのは社員をあまり外部にプレゼンしない会社ですが、本名さんは「教科書に載らない日本のネットの歴史」に、まるまる1章割いて紹介されてもよいくらいの重要人物だと思います。

 
 
また、本名さんは僕の恩師でもあります。本人がどう思ってるかはわからないですがw

僕は社会人1年目に、当時本名さんが部長をしていた、メンバーサービス部というカスタマーサポートの部署に配属されました。

初日に先輩社員の方に「これがウチの部長の本名さんです」と紹介されたときのことを、今でも鮮やかに思い出すことができます。
紹介された本名さんは、机の下にもぐりこんで、お尻をこちらに向けていました。
床から机に回線を引き回す土方作業をしていたんです。チノパンを履いています。IT業界なんてまだなかったし、デザイナーなどのクリエイター系以外の職種は全員スーツを着ていた、そんな時代のことです。
本名さんはしばらく机の下でモゾモゾした後、ようやく頭を抜いて、立ち上がり、
「こんにちは。本名です」
と深いバリトンの声で挨拶しました。その笑顔は子供のようにあどけなく、そして上はYシャツではなくTシャツで、真ん中にデカデカと、

FREEDOM

と書かれていたのです。

その瞬間、僕は電撃が走ったように、ひとつの、自分にとってはとても大事なことを理解しました。
それは、

「自分のスタイルややり方で仕事をしてもいい」

という世界もある、ということです。

僕は当時、この「社会」とやらに入るとき、どれだけ自分を抑え、社会の「常識」だとか「暗黙の了解」だとか「必要なスキル」だとか「先輩の助言」だとかに従わなくちゃいけないのかと、ビクビクしていました。それは僕の最も苦手とすることだったし、実際、いろんな人から「そんなんじゃ社会でやっていけない」と言われ続けていました。そして、ああとてもムリだ、と、とても怖がっていたのです。

でも本名さんは、最初の出会いで、僕のそんな心配を吹き飛ばしてくれました。
たとえ会社といえど社会といえど、場所によっては、必要以上に自分を殺さなくてもよいのです。もちろん基本はチームプレイなので、自分勝手にやっていいという意味ではありません。でも、自分で考えて自分のスタイルをクリエイトしてもいいのです。それもOKなのです。
そして、結果だけに集中すればよいのです。

これが、どれだけ僕の心を楽にしてくれたか。とても言葉で書ききれるものではありません。
今思うと、あの瞬間、僕は、右も左もわからない世界の中で、自分の「」を発見したのだと思います。

 
 
本名さんは、当時まだ大学にしかなかったインターネットの回線とUNIXサーバーを僕たちメンバーサービス部に使わせてくれ、PhotoShopMacromedia Directorを買ってくれ、仕事の合間合間に、自由に未来のネット環境を実験する機会を与えてくれました。

僕たちは本当に自由に、好きな勉強を好きなやり方と好きなペースでやることを許されました。今思うと夢のような時期でした。
ネットワークについてほとんど無知だった僕は、あの数年間で、カスタマーサポートの仕事を通してお客さまからネットの技術的または人間関係的問題点を教えてもらい、合間合間の時間に、サーバーのセッティングから画像やhtmlやデザインやデータベースやプログラミングの基礎を学び、急速にネット全般に関する知識と経験を溜め込んでいきました。

当時メンバーサービス部はほぼ全員Macintoshを使っていて、Apple Talkで相互接続されていました。僕は勝手に共有フォルダを作って、Q&Aを共有しはじめました。次にそれをhtml化し、その数年後にイントラネットと世間で呼ばれることになる、ブラウザを利用した情報共有/検索のシステムを作りました(ブラウザはNetscapeのβ版またはInfoMosaicでした)。サポート業務によるストレスのガス抜き用の面白コンテンツも作りました(「カオケン」とか「今日の○○系」とかさ。以上内輪ネタ)

いろんな人が、いろんなシステムやコンテンツを自由に作り、業務の効率化と高機能化をクリエイトしていました。そして互いに刺激されあっていました。

サポート部隊が急速に巨大化していくに従って、業務をアウトソースしたり、大勢の人間をマネジメントしたり教育したり、あるいはその人たちが働きやすいようなバックオフィスのシステムを構築するといったこともやらせていただきました。僕は経験ゼロだったのに。

ちなみに、NIFTY-Serveとしてインターネットのサービス提供がはじまったのは、だいぶ後になってからでした。本名さんはあれやこれやと社内外調整をして遅々として進まない会社を待たず、メンバーサービス部だけにインターネットを与えてくれたのです(余談ですが僕は社会人2年目の頃に、インターネット勉強会を社内で立ち上げ、ニフが)インターネット対応することの重要性をアピールしたのですが、他の役員からは笑ってスルーされました。あのときにプレゼンスキルの重要さを痛感しましたね……)
そのおかげで当時のニフティのカスタマーサポートは、自社ではインターネットサービスを提供していないのに、インターネットに関する問い合わせに日本一詳しく回答することができるチームだったのではないかと思いますw

 
 
ところで、実はカスタマーサポートへの配属は、僕の希望ではありませんでした。僕は企画の仕事がしたかったのです。
でも、もしあの時、僕が最初から企画の仕事をしていたら、どうなっていたことでしょう。ろくすっぽ体系だった広く深みのある知識も持たないため、ツボを押さえそこなったビジョンばかり描く、妙にプライドが高くてパワポ作成社内政治だけは巧みなダメ社員になっていたのではないでしょうか。

カスタマーサポートというのは、技術的、人間心理、社会構造、そういったさまざまな物事の問題点を、総合的に把握し理解することのできる仕事です。同時にニフティのメンバーサービス部は、合間の時間にどんなクリエイティブなこともどんな勉強もすることができました。

 
 
メンバーサービス部での数年間があるから、今の企画屋としての自分が存在できているのだと思います。いくら感謝してもしきれません。
そしてメンバーサービス部という部署をそのような部署にしたのは、本名さんです。彼は自由に成長することを許してくれた一方で、必要なものはなんでも揃えてくれました。うるさい小言や納得できないダメ出しなど一度も言わず、たとえ自分と違うやり方だったとしても、黙って、僕ら側を信じてやらせてくれました。

その後いろんな方に会いましたが、本名さんほど度量が大きく自由でかつ実力があった人には、ほんの僅かしか出会えていません。
僕は最初に本名さんの下で働けて、本当にラッキーだったなと思います。今までお疲れ様でした!
まずはゆっくりとお休みください。
そして、また次のご活躍を楽しみにしています!

 
 
p.s.関係者の方へ。送別会が7月に予定されているようです。

 
 
時代-Time goes around-
中島みゆき

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