仲間はずれ


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家に帰ってみると、娘3歳の様子がおかしい。
おかえりとも何とも言わず、口をへの字に曲げてアンパンマンを見ている。

最初は眠いのかな、疲れたのかな、と思っていたのだが、それにしてもいつもと違う。石のように固まっている。
「何かあったの?」と聞いてみた。
断片的な娘の話と妻の話を総合して、理由がわかった。

どうやら公園で、恐らく5〜6歳くらいのお兄ちゃんたちが鬼ごっこをしているところに、仲間に入れてもらえなかったらしい。
「仲間に入れて」とお願いしたら「ダメ」と言われたのだとか。

「また今度会ったとき、もう一度言ってみる?」と聞いたら、
「どうせまた『ダメ』って言われるよ」と、顔をこわばらせていた。

ああ、とうとうそういう時期が来たのか。
仲間はずれ。人間関係。気にするなと言っても傷つくなと言っても、無理な話だろう。

これからずっと、ときどき顔を出す問題。
大人の世界にも同じようなことはあるし、全く傷つかなくなるかといえばそんなこともない。
そして大人はもうちょっと巧妙になる。誘われないまま、気がついたら飲み会や遊びの予定が終わっていた、なんてことがある。

Facebookなどは、人によっては、仲間はずれ感を助長する装置に見えているのだろう。自分の知らないところで、自分が友だちだと思っていた人たちが、楽しそうに飲んだり遊んだりしている感想や写真をアップしあっている。僕はそのとき何をしていたっけ? 家でパズドラしてたんだっけ? そういえば誘われなかったな、など。
逆の場合もある。誘って断られ、でも実は相手が後で他の人の誘いには乗っていたりすることがわかると、少し感じるところはある。Facebookなどは(以下略)。

ただ、そんなに傷つくわけでもない。割と平気でもある。
大人になると、そういうこと慣れるからだろう。
人間生きていれば、気分によっては、あるいは事情があって、この人たちとだけ会いたい、今日はあの人は入れたくない、ということはあるだろう、と納得できるからだ。
自分だって同じようなことしたことがある、と気づいているからだ。

人間関係には季節がある。何事にもはじまりと終わりと中だるみがある。
世の中は複雑で自分の目には見えないいろんな事情があるものだ。
それにこっちの体力気力的な事情もある。
だから、来る者拒まず去る者追わずが身体に染み付いてくる。それに大人になると、自分の土台も把握している。

娘を鬼ごっこに入れなかったお兄ちゃんたちの気持ちも、よくわかる。
男子何人かで遊んでいるところに、だいぶ年下の3歳の女子が入ったら、確かに面倒くさいだろう。

でも今は娘にはそれはわからない。単に拒絶されたという気持ちだけが残る。
辛い。悲しい。寂しい。
どうして仲間に入れてくれないの? どうしていじわるするの?

娘はこれから、どうやってこれを克服していくのだろう。
親としてできることは何かあるのだろうか。一通り慰めはするが、こういった問題は理を説いても意味がない気がする。

こういうとき、親にできることは何だろうか? 環境を整えること、目一杯愛情を注ぐこと、あと何か。

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