久しぶりの友だちから連絡があって、共通の友人であるダンサーが死んだことを知った。僕の周囲で、驚くほどの才能の持ち主にこのような不幸が起きたのは、これで2度目だ。
彼のダンスは、僕と同じ「ハウス」。ハウスミュージックで踊る、ストリートダンスの一種だ。
彼は、他のダンサーと全く違っていた。ほとんどのハウスのダンサーは、現在、他の人と似たような動きになってしまっていて、多少人と違うことをしようとすると、単に体操のような大技に走ったり、または他のスタイル(ロックダンス、ヒップホップ、ポッピングなどなど)を混ぜただけの完成度の低い方向に流れてしまう。
しかし彼は違った。彼の踊りは、パッと見ただけでも、他の人と全然違う。明らかにハウスであることは間違いないのに、1つ1つのステップに全て自分流の解釈を加え、結果として、日本人のストリートダンサーにはほとんど見られない、完全オリジナルのスタイルを作り出した。
これは、本当に珍しいことなんだ。日本のストリートダンスのシーン、特にハウスは、僕から見ると、猿真似が極めて多い。黒人の○○にスタイルが似てるということが褒め言葉になっているケースすらある。「しょせん向こう(アメリカ)もののカルチャーだからさ、真似でいいんだよ」という人もいる。ストリートダンスは個人の表現なのに、チームで踊ることが多いせいか、他の人と合わせることに集中している人も、たくさんいる。「オレはオリジナルだ」と言ってるのに、よほどの玄人じゃないと、他の人との差が判らないような人もごまんといる。
だからハウスは、素人目には、「みんな上手だけど、みんな同じだね」という風にしか見えないといわれても、反論できない。
そんな中、彼は、オリジナルだったんだ。明らかに彼にしかできない、感動的なまでに彼らしい踊りだったんだ。ちくしょう、ハウスでオリジナルだったんだぞ。凄いんだ。
ちくしょう。
ここに、短いが、彼の踊っている映像を紹介する。実際に生で見ている僕から言わせると、これは彼の実力の10%ほどしか表現されていないムービーだが、それでも、これを見て、何か感じてもらえれば、と思う。
彼はとても真面目で、いつもダンスについて熱く語っていた。何が良いもので何が良くないものか。どうすればもっと良くなるか。求道者のように、独自の道を追求していた。自分のレベルが他の人より明らかに頭ひとつ飛びぬけているのを知っていて、なおかつとても謙虚だった。
僕は、彼の踊りを見るのが大好きで、いつも、その意外な方向にねじれる足首や、グルーブそのものを表現するかのような腰の動きに、見とれていた。これは彼のスタイルだから、僕が真似しちゃいけないと、強く思った。どんなに上手くったって、カッコよく踊る人を見て臆面もなくその動きをコピーすることがいかに恥ずかしいことか、逆に自分独自のスタイルを追求することがどれだけカッコいいことか、彼を見ていると、そのことを強く感じだ。
きっとあの世でも、その独自の踊りを見せつけて、周囲を驚かしているに違いない。
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僕は携帯電話で、このことを電話してきてくれた友だちと、長い長い間、彼について語りあった。
その後、互いの近況を報告しあった。僕も忙しいけど、彼も忙しそうだ。
ストリートダンスで飯を食うのは死ぬほど難しい。だから、なかなかもう踊りばかりはやってられない。2人ともそういう歳になっていた。
ふと、友だちが言った。
「死ぬ気になれば、何でもできるよね。何にでも挑戦できるよね」。
陳腐なセリフだけど、正しいと思った。
近々会って飲もうね、と言って、僕は電話を切った。そして思った。
うん。何でもできる。
で、僕は今、ここで、何をしているんだろう?