某さんより「お父さんの話を書いてください♪」と言われたので、リクエストにお応えします。
中学生のころ、僕は「親と話すときはつっかかるときのみ」という反抗期っぷりでした。「小鳥(a little bird)」に時々登場する僕の父も、そんな僕と何を会話したらいいのか、悩んでいたのでしょう。
人間、あまり考えすぎると、全く訳の判らないことを口走ったりしてしまうものです。
=================
ある日。
夕食が終わって、僕と父は、居間でテレビを見ていました。
居間にいるのは僕と父のみ。2人してテレビを見ているだけなのですが、何しろ僕と父は楽しげに会話などしたことがありません。僕は部屋の中が微妙な緊張感に包まれるのを感じ「なんとなく居心地が悪いな」と思っていました。
恐らく父も同じように感じていたでしょう。そして、父としては、何とかして息子と会話し、家族団らんの空気を作りたい、と、必死で頭を絞っていたのでしょう。
僕はTシャツにジーンズで寝そべっています。
父はTシャツとステテコで寝そべっています。
2人して、まるで相手がそこにいないかのように、一心不乱にテレビに顔を向けています。番組は、NHKスペシャルの何か、「人体」とか、そんなヤツだった気がします。
テレビの音だけが空虚に鳴り響く、沈黙の世界が、数十分続きます。
急に父が、ステテコ姿で寝そべったまま、辺り中に響く大声で、こう言い出しました。
父:「たまごご飯は美味しいねえ!」
え?
たまごご飯って、卵かけご飯!?
生卵を溶いて醤油入れてご飯にかける、これに似たやつのことですか!?
何故!? なんで急に卵かけご飯のことを!? そんなに大声で!?
確かに僕の一家はたまごご飯が大好きで、よく食べていましたが……
訳が判らず混乱していると、遠くのキッチンから、母が僕たちに呼びかけました。
母:「なに? たまごご飯が食べたいの?」
父は慌てて起き上がって「違う違う」と手を振っていました。
その頃には僕も驚きのあまり、起き上がっていました。
それからは、父と2人して、掘りごたつに入ってテレビの続きを見ました。
あいかわらず会話はなかったのですが、何となく、さっきよりは部屋の空気が暖かく柔らかくなった、そんな気がしました。
父の詫び状
向田 邦子 (著)