新潟地震、祖父母の状況でも書きましたけど、母方の祖父母は新潟県長岡市に住んでいまして、今日は新潟中越地震が起きてちょうど1年目、だったそうです。関係ないけど、こういうとき何ていうんでしょうね?「1周年」も「1回忌」もヘンな気がします。
で、電話したのですが、祖母がスケールの大きいまとめの話に入っていました。
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最近、相方が着物を着ています。
いきなり買うような財力はないので、祖母などから着物をもらっていたのですが……
それが、「すごく嬉しかった」とのこと。
祖母がくれた着物のうち、相方が一番気に入ったモノは、偶然にも祖母が嫁入りの時に作ったものだったそうです。
嫁入りは65年前だから……1940年。既に第二次世界大戦ははじまっており、旧日本帝国軍によるハワイ真珠湾攻撃の前年でした。
当時、衣料品は「衣料切符」というものがないと買えませんでした。当然、高価な嫁入り用着物などを作る余裕は、普通は日本にはありませんでした。
祖母の家は大きな病院を営んでおり、多くの看護婦さんが働いていました。
娘の嫁入りための着物を作ってやりたいと考えた祖祖母/祖祖父は、何をしたかというと……自分の病院で働いている看護婦さんから衣料切符を大量に買い取り、それを使って、着物を作ってくれたそうです。
「まったく、あんた方には想像もつかない時代だって」と、祖母は方言で言っていました。
「着物ってのはいいもんだねえ」と、祖母しみじみ思ったそうです。「取っておけば、自分から子、子から孫へと引き継がれていく」。
確かに、日本でポール・スミスの服が孫にまで引き継がれるかというと、少し微妙な気はします……
その他、別の従兄弟の奥さんが、祖母の父が自分の闘病記を論文にしたものを読んでくれたことも、同様に感動したとか。
祖母は、自分の父母、つまり祖祖父母が行ったことが、何らかの形で孫にまで伝わったことが、とても嬉しかったようです。
そりゃそうですよね。祖母は既に80歳以上で、その母となると、当然のように過去の人です。自分にとっては大きな存在である両親も、世間的には、もう覚えている人もほとんどおらず、どんどんど忘却のかなたへと押し流されてゆく。自分が死んだら、ますます忘れ去られていくだろう。
でも今回は、着物や文章といった形で、祖祖母/祖祖父の成果が、確かに残ることになった。
祖母が死んでも、その着物は、その着物にまつわるストーリーと共に、子孫である僕らの中に残るでしょう。
バトンが渡されている。
祖母が嬉しいと思ったのは、その感覚なのだと思います。
祖母はこんなことを言っていました。
「私たちの時代では、戦争があり、息子が死に(病気で、20年ほど前)、大地震まであった。大騒ぎの一生だったけど、今思うと本当に良い人生だったなあ、と思う」
何やら相当、人生のまとめに入りだしていますが。
まあ80過ぎですから、当然の気分といえば当然の気分ですけどね。
でも、そんなこと言ってる人は、なんかまだまだ長生きするのでしょう。
今日は祖父母から送られてきた、東京では手に入りづらいといわれている、本物の魚沼産コシヒカリを食べようかと思います。
p.s.関係ないですけど、戦争体験者が、どんどん大往生を迎えています。
戦争体験者たちの話を聞くチャンスは、日を追うごとに失われていっています。
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