僕が大の苦手としていることの1つに、
「郵便物を出す」
というのがあります。
今日は、僕がどのくらい郵便物を出すのが苦手なのか、
それを説明させていただきたいと思います。
同意が得られることを伏して願いつつ……
郵便物を出す手続きの、全てが苦手です。
まず郵送物を入れる箱や封筒、葉書、切手などの、
郵便グッズを揃えるのが苦手。
たいてい手元にちょうどいいのがありません。
箱や封筒があるときは、糊テープがありません。
ほぼ毎回、確実に外に何かを買いに行っています。
次に手紙を書くのが苦手。
字が下手なのが幼少時からのトラウマで、
今だに、1文字書くごとにMPが1ずつ下がっていきます。
また、上手に書けたときは、必ず最後の数文字で字を間違え、
そして大体いつも間違いなく訂正用ホワイトが切れてて、
買いに行くか、イチから書き直すかの選択に迫られます。
じゃあ手書きは止めて印刷してはどうか?といいますと、
苦手感はあまり変わりません。
まずMS Word。僕はあれが苦手で苦手で仕方ありません。
いつも、突然箇条書きモードになって僕を困惑させたり、
勝手にインデントしたり、文字間隔がバカみたいに開いたり、
罫線があらぬ方向にフッ飛んで行ったりします。
本当に世の中の人々は、発狂もせずに、
苦もなくこのソフトを使いこなしているのでしょうか?
僕にとって、最大の謎の1つです。
印刷そのものも、苦手です。
経験上、緊急度に比例する確率で、
プリンタのインクが切れています。
そして、いざインクを買いに行くと、
焦っているせいでしょうか? 店に着くころには、
なんという型番のインクを買ったらいいのか忘れていて、
再び家に戻って確認するという二度手間を強いられます。
インクがあるときは、通常はプリンターの調子が悪くて、
設定を見直しているうちに、
mixiを見はじめたりチャットを開始してしまったりして、
すっかり印刷のことを忘れてしまったりしています。
住所を調べて、封筒に書くのも苦手です。
たいていの場合、送り先の住所はスムーズに判りません。
例えば普段メール交換している人に何か送ることなったとき、
そういう人に限って、メールのシグナチャに、
住所とか入ってないんです。
だから、延々とその人の名刺を探し回って、
住所を確認したりすることになります。
そして、重要な郵便物であればあるほど、
送り先の人の名刺は、ちゃんと名刺ホルダーに入っておらず、
どっか段ボール箱に、他の数百の名刺や食玩と一緒になって、
しかも裏返って無造作に放り込まれていたりします。
これらの困難を全てクリアしたとしても、
まだ、最後の難関が待ち構えています。
それは、「郵便物を投函する」という難関です。
僕の場合、ほぼ100%の確率で、
郵便物のことを覚えているときは周囲にポストはなく、
ポストが目の前にあるときは郵便物のことを忘れています。
結果として、僕のカバンの中には、
投函されていない手紙や葉書や郵便物が、
溜まることになります。
先日も、カバンの中を整理したら、
数年前に送るはずの写真入り封書が出てきて、
一人で心臓が飛び出るほどびっくりしてました。
このように、「郵便物を出す」のは、
僕にとって悪夢のような作業なのですが……
……でも、いざ仕事の現場では、
「郵便物出すの苦手」とか言ってられないですよね?
だから、仕事で何か郵送物を送ることになったときは、
大騒ぎです。
僕は自分がこんななのを重々承知しているので、
とりあえず、ものすごく緊張します。
そして、全ての作業をストップして、
誰が話しかけることも許さず、
上記にあげた作業のみに、集中します。
だから……郵便物を投函できたときの安堵感は、
そりゃあもうすごいものですよ。
その日1日は、他の仕事はできません。
最近、思うんですよね。
もしかしたら、僕のような人は多いんじゃないかって。
そして、ネットがここまで浸透したその理由として、
「ネットが普及すれば郵便物を出さなくて済むようになるから」
と多くの人が思っているというのもあるんじゃないかって。
本件と郵政の民営化の間にも、
何らかの因果関係があるのかもしれません。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
東 浩紀 (著)