(例によって写真はイメージです。後で熊野で撮った写真に差し替えるかも)
人間関係のこじれって本当にやっかい。
誰にとっても、難問のひとつではないかと思います。
だからこそ、それを解決するのが得意な人は、
真の意味で「人生の達人」と言えるのではないでしょうか?
上の文章を書いてて、
ちょっと「自己啓発クサイ」と思いましたが、
書き直すのも面倒なので、このまま行きます。
今日は、僕が今まで出会った人類の中で、
最も「人間関係のこじれを解決するのが得意な人」の話です。
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それは、以前働いていた会社の、上司でした。
仮にIさんとしておきます。
「家で大量の鳥を飼っているらしい」
という噂がちょっと気になってはいましたが、
それ以外は、普段は別に魅力が溢れ出ている風ではない、
ごく普通の人でした。
ところがIさんは、
いざ人間関係がこじれそうになったり
実際にこじれちゃったりした状況に、
めっぽう強かったんです。
誰も出たくないような会議や、
小耳に挟んだだけでウンザリするような交渉ごとに、
ホイホイと出かけて行っては、
無傷で返ってきて、
しかも理想形かどうかはともかく、
なんとなくその問題は解決してしまっている。
そんな魔法のような出来事を次から次へと起こすので、
僕たちの間では、彼は「ハリポタ」と呼ばれていました。
なぜIさんはそんなことができるのか。
その秘密を垣間見たような思いをしたことがあります。
そのとき、僕の取引先の人に、
ある深刻な状況が発生していました。
僕と相手方とは、とある事業を一緒にスタートしようと、
半年ほど準備をしていたのですが、
先方の社内事情で、急に話が複雑化してしまっていたのです。
先方の担当者は、もはやノイローゼ寸前。
いったいどうしたらいいのか、
誰も解決策を見い出せない状態が続いていました。
そこで、Iさんが先方に出向くことになったのです。
僕は行きのタクシーの中で、Iさんに、今までの経緯と、
先方の状況に対する予想をサマりました。
Iさんは腕を組んで目をつぶってその話を聞いていました。
いかにも達人くさいたたずまいです。
僕の話を一通り聞いて、
しばらく沈黙が流れた後、
彼はおもむろに、こう言いました。
「よし、わかった。
では、彼らを癒しに行こう」
癒す!?
僕はそもそも、今まで会議や交渉事において、
誰かを癒すという発想をしたことがありませんでした。
もう6~7年も前の話なのですが、
いったい何が起きるんだろうと不思議に思いながら、
会議をはじめたのを覚えています。
議題は、現在の問題を解決するためのタスクを洗い出すことです。
会議は、長い長い彼らの資料説明からはじまり、
それから、僕たちの発言の順番が回ってきました。
Iさんは、弛緩しきった様子で椅子にもたれかかり、
完璧にリラックスしていました。
涎は垂れてはいませんでしたが、
目元にのみ、柔和な笑みが浮かんでいました。
そして、彼は、ゆっくりとした、
どこにも力が入っていない、
むしろ少し楽しそうな口調で、話しはじめました。
話の内容は、先方の改善案を受けたものではなく、
このプロジェクト自体の中止を暗にほのめかすような、
非常にセンシティブな内容でした。
それを彼は、あなた方のお辛い立場は痛いほど理解できる、とか、
今は勇気を持つことが必要なとき、とか、
お互いが最もハッピーになるにはどうしたらよいだろう、とか、
そういう言葉を使って、柔らかい口調で語ったのです。
「説明」とか「主張」というより、「語り」に近い感じでした。
驚いたのは、相手の反応です。
今まで暗くて呼吸が浅く、
軽くパニックに近い状態になっていた相手方の人々の顔が、
みるみる明るく輝き出したのです。
目にはうっすらと涙すら浮かべています。異常事態です。
Iさんの言葉が、よっぽど彼らの秘孔に届いたのでしょう。
帰り際には、彼らはビルの玄関前で、
ケンシロウに助けてもらった小さな村の住人みたいに、
いつまでも僕たちにありがとうを言い、
頭を下げ、手を振り続けていました。
その顔は晴れやかで、愛と希望に満ち、
会議前とはまるで別人のようでした。
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辛い話をするときに、
相手を癒そう、という心持ちで臨むと、
思いがけないほど良い結果が出る場合があるのではないかと、
そんなことを、僕は、この一件で学びました。
ま、実際には難しいですけどね。
相手が辛い状態のときは、自分も辛い状態になっているので。
ええ、それは痛いほどわかりますとも。
ただ、もしかしたらこのようなモノの考え方が、
どこかの誰かの問題を
改善するきっかけになるかもしれないと思ったので、
紹介させていただきました。
Iさん、今ごろ何をしてるのかなー。