(写真はイメージです。参考)
こんにちは。ヤングアニマルが妙に面白いのは、やっぱり隔週発売だから、その分漫画家の方々がそれぞれの回に力を入れることができるというのが大きいのではないかと。
さて。
ウチの父はバリバリの技術者です。僕がまだ幼少のみぎり、夕食中に突然、
「お父さんはな、モノを見るとそこで電子がどのように流れて動いているか、全て見えるようになった」
と話しだし、幼心に「なんだかよく判らないけど、ここは尊敬しておく場面だ」と、身を硬くしたことをよくおぼえています。
そんなある日のこと。
あれは僕が小学6年生か、中学生ぐらいだったでしょうか。
その日の夕食は、どうやら鳥の唐揚げのようでした。成長期の子供がいる家庭は、いつも「ご飯をどのくらい作ればいいのか」が問題になります。数ヶ月前には適切だった量でも、今はもう足りないとかいうことが、日常的に起こるので。
母もいったいいくつの唐揚げを作ったらいいのか、判断しかねているようでした。
母は、居間にいる、僕と弟と父に向かって、なんとなく尋ねました。
「ねぇ、唐揚げ、何個くらい作ればいいと思う?」
その問いに対して僕が答えようとした矢先、ふだんは寡黙な父が、急に大きな声で、こう叫んだのです。
「そんなの、家族のN倍作ればいいだろう」
その瞬間、僕は「わけわかんね!」とあきれ返ったと同時に、小学生だったにもかかわらず、アッという間に変数を理解したのです。当時はまだ方程式なんか見たこともなく、その種の問題は鶴亀算式に解いていた時代です。しかし、食べたくて仕方がない唐揚げと絡んだ数学的表現をいきなり提示された結果、僕はまたたく間に、
「ウチの家族は5人だ。2倍なら10個、5倍なら25個、その「2」とか「5」の部分を好きにいじれるように、ここではその部分を「N」と表現しているんだ」
とイメージでき、かつ、
「なんと便利な表現方法なのだろう」
と、その偉大さに感嘆することまでできてしまったのです。
時期は夏だったでしょうか? 窓は開けっ放しで、みんなランニングを着ていて、風鈴と蝉の音が鳴っていました。
その後、友だちとの会話の中で、ずっと「N倍」を使おうとしていたのですが、ついぞチャンスを見つけられないまま、大人になってしまいました。
今思うと、あのとき父は、仕事のことかなんかを考えていて、多少イライラしていたのかもしれませんね。だから父以外全員超文型の我が家で、ついN倍とか言ってしまったという。
まあ……いずれにしろ日常生活の中で、たとえば数学とか科学とかの概念を入れられると、とても判りやすいですね。お子さんがいらっしゃる方々は、子供にそういう教育をしてみてはいかがでしょうか? 鮭のムニエルを出しながら水の大循環について語る、みたいな。
あと、これ書きながら気づいたのですが……
「家族のN倍」じゃあ、母は結局、いくつ唐揚げを作れば家族が満足するのか、全然判らないじゃないですかねぇ。
生き抜くための数学入門
新井 紀子 (著)