(イメージ画像です)
「イタい」って、その場にそぐわない不適切な言動をする人っていう意味で、あからさまに悪口で、この現代社会を快適に生きていくためには、とりあえずイタい人にはならないようにしなくちゃって気をつけてる人は多いと思うのです。
でも……最近いろんな人を見ていて、もしかしたらちょっとくらいイタい方が、人生楽しいんじゃないか、と、今フッと思ったんです。
僕の周りでも、例えば……
……言えないよ(泣)! 言われた方はワンハンドレッドパーセント気分を害するもん(泣)。芸能系や文化系やビジネスの世界にもたくさんいますよね? これまた敵を作りそうなので言えないですが……。
「イタいかどうか」の基準って、要は他人の視点ですよね? 自分の本当の感情やテンション、考えやポリシーなんかを押し殺して、他人の視点という型にはめ込んで微調整して、出る杭にならないようにするっていう側面が、「イタい」という言葉にはあると思うんです。
また、この言葉が流行った背景には、受け手側の許容量の狭さもあると思うんです。自分が許容できる範囲の「変」をちょっと超えると、すぐ受け入れなくなるという。「変」な場合は、「優れて」ないと認めないという。
でも中には、他人からいかに「イタい」と言われようが全く意に介することなく、我が道を突き進んでいる人たちもいます。
その人たちはあからさまにイタいけど、表情も豊かで、声にもハリがあり、目も輝いています。周囲では「あの人イタいよね」と笑われているのですが、笑ってる方と当のイタい本人を比較してみると、イタい人の方が楽しそうな気がする場合が多いです。
「イタい人になってもいい」と思え、と言ってるんじゃありません。そうじゃなく、イタいかイタくないかといった次元から遠く離れたところに自分を置くといいのかな、と思います。キーワードはたぶん「自分が好きなことをする」なんでしょうね。
そして、受け側としても、もっともっと自分の許容範囲を広くしていきたいな、と思います(今もだいぶ広いのかもしれませんが)。だってその方が楽しそうだし。「あの人イタいよね」と笑ってると自分がつまらない人になっちゃいそうだし。
60%くらいいいヤツだったらもうオッケーでしょ。ただ……
今日、電車乗ってたら、前にキモオタが二人乗ってきた。なんか一人がデカイ声で
「貴様は~~~!!だから2ちゃんねるで馬鹿にされるというのだ~~~!!この~~~!」
ともう片方の首を絞めました。
絞められた方は「ぐええぇーー!悪霊退散悪霊退散!!」と十字を切っていた。
割と絞められているらしく、顔がドンドンピンクになっていった。渋谷でもう一人、仲間らしい奴が乗り込んできてその二人に声をかけた。
「お!忍者キッドさんとレオンさん!奇遇ですね!」
「おお!そういう君は****(聞き取れず。何かキュンポぽい名前)ではないか! 敬礼!」
「敬礼! 出た! 敬礼出た! 得意技! 敬礼出た! 敬礼! これ! 敬礼出たよ~~!」
俺は限界だと思った。(ネタ元)
これはちょっとさすがに、イタすぎて受け入れるの超難しいですけどね……
絶望に効くクスリ 9―ONE ON ONE (9)
山田 玲司 (著)