明石家さんまさんは、普段めったに活字に残る仕事をしないのだそうです。
しゃべりの天才としては、声のトーンとかタイミングとか表情とかしぐさとか、全てを総合的に見てもらわないと、本当に言いたいことが伝わらないと思ってるからですかね? ちょっと判る気もします。
以前小鳥ピヨピヨでとりあげた、ほぼ日刊イトイ新聞の「さんまシステム」も、今は見れなくなってますし。
そんなさんまさんが、季刊誌「本人」のロングインタビューを快諾したそうで。
本人vol.11
中川 翔子 (著), 堀江 貴文 (著), 井口 昇 (著), 三宅 恵介 (著), 有吉 弘行 (著), 吉田 豪 (著), 中村 うさぎ (著), 松田 洋子 (著), 北村 道子 (著), 安永 知澄 (著), 宮崎 吐夢 (著), 河井 克夫 (著), 海猫沢 めろん (著), 瓜田 純士 (著), 明石家 さんま (著), 松尾スズキ (監修)
抜粋がお笑いナタリーに掲載されていたので、即チェックしてみました。
そしたら、ちょっと興味深い一節を見つけたのです。
―――もともとさんまさんって、小さい頃からテレビをよく観てました?
さんま:もちろんもちろん。今の五十歳前後の人がテレビ全盛期の、一番いいテレビを観てきてると思うんですけど。
―――たとえばどんな番組ですか?
さんま:いや、というより、テレビというものそのものに驚きを感じて、テレビの中で誰かが歌う、誰かが喋るということに感動しながら、テレビのバラエティ番組が進化していく歴史を見てこられたっていう。だから、もともとテレビっ子だから、今でもテレビを大切に思いすぎるというか、若手がテレビで手を抜いてるとすごく腹が立つんです。「テレビっていうのはおまえらが思ってるよりも全然すごいものなんやから」「そんなテレビに出てるんやから、もっと頑張らなあかん」っていう。
これって、ちょっと前までのネットと同じじゃないですか?
色んな立場の人々が出すいろいろなものを読める、聴ける、観れる。
不特定多数の人に、文章、写真、動画などを発表できる。
遠くに住んでいる見ず知らずの人とコミュニケーションがとれる。
そういうことに「ネットってすげー!」と感動しながら、ネットが一般に浸透していく歴史を見てきた人にとって、単純にネットを起業やお小遣い稼ぎや自己アピールの手段としてしかとらえていない状況を見るとすごく残念に思う、みたいな。
まあ、バンドがインディーズからメジャーに行くときのファンの気持ちってやつなのかもしれませんが……「キャズムを超える」ときって、身体感覚としてはこういう風に感じ取れるのかもしれませんね。