全然知らない言語を学ぶのって、楽しいんですね。
英語を勉強するときとは、全然違いました。ほら、なんだかんだいって英語はもうずっと勉強し続けているので、新鮮さはなくて……だから目の前に膨大に覚えることがあって、それにひたすら慣れないといけないという、大変さだけを感じるんです。
でも、全然知らない言語は違います。1つ1つが全部新鮮で、新しい発見に満ちていて、不思議とワクワクします。
先月、いろんな事情が重なって、1ヶ月トルコ語を勉強していたんです。
普段はまるで知らない言語なんて、旅行に行く直前にちょっと使えそうなフレーズを覚える、くらいだったのですが、先月は目的もなく、TRY! RosettaStoneというプログラムの中で、それこそ毎日トルコ語を浴び続けていました。
特に今回は、RosettaStoneというオンラインサービスを使ったのですが、これがまた斬新なサービスでして……
RosettaStoneというサービスは、「解説」や「説明」をしないんですね。
単語や構文や文法を日本語で勉強するということがゼロ。その代わりに、例えば、さまざまな日常のシチュエーションが出てきて、その中で、
・単語が3つ、写真が3つ出てくる。なんとなく推測で繋ぎ合わせる
・発音を真似る
・文章の中で穴が開いているところに入る単語をなんとなく選ぶ
みたいなことを、ひたすら繰り返していくわけです。
説明はないので、当然、何がなんだか全然わからないところも出てくるのですが、そこで立ち止まって「理解」しようとしても、理解のための種がないのでそれは無駄足で、結局は、わからないまま先に進まなくてはいけません。
最初はこれがストレスだったのですが、2~3日やってみて、急に、逆にこれが気持ちいいと感じはじめたのです。
この感覚、奇妙ですが、はじめてではありません。何だろうと思っていたのですが……
もしかしたら、大昔に体験したことが、無意識の記憶として蘇ってきたのかもしれません。
そう、赤ちゃんの頃の記憶が。
よくよく考えてみれば、僕らは赤ちゃんのころ、こうやって日本語を覚えていったんだと思います。
目の前にいろんな状況が展開されている。
ママやパパが、その状況に対して何か言っている。
そのうち、パパママの言ってることと、その状況が何らかの関連性を持つということに気づいていく。
間違えることを恐れず、パパママの真似をして言ってみる。
ときどき、とても喜ばれる。そのうちにそれが「正解」なんだということに気づく。
喜びかたがそれほどでもないときは、「正解」じゃない(「間違った」ではないところがポイント)。だからトライ&エラーを繰り返す。
僕がトルコ語勉強で感じたのが、これと似たようなことでした。
もちろん僕は大人なので、最初から多少は分析的思考を働かせるのですが、それでも、辞書引きや関連本を読むのを敢えて封印し、RosettaStoneでクイズみたいなことを繰り返していくうちに、暗闇の中で見えないモノを手探りしていくうちに段々と形がわかっていくのに近い、包括的というか総合的にトルコ語を把握していっている自分に気づいたんです。
うん、ダイアログ・イン・ザ・ダークに近い感じだったかもですね。
脳の中の、いつもと違う部分をたくさん使っている実感がありました。
なんだか不思議な体験でしたね。自分がまるでスポンジのように、色んなことを急速に吸収していくんです。
まるで赤ちゃんのときみたい。「自分、思ったより、まだまだ頭柔らかいじゃない!」と嬉しくなりました。
単にトルコ語を勉強していただけなのですが、実際にはもっと根源的な、ユニークな経験をさせていただいたなと思います。
今後いろいろと学んでいくのにも応用できそうです。
ロゼッタストーン 英語 (アメリカ) レベル1、2、3、4&5セット
Rosetta Stone