個人的な3.11体験を振り返る


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1年前の2011年3月11日。僕はフランスにいた。

飛行機を降りると、シャルル・ドゴール空港の職員がしきりに「ジャポンジャポン」と言っていて、ああ、フランスで日本が人気というのは本当なのだなあと勘違いしていた。ホテルについてテレビをつけると、「Japon」の文字にかぶさって、炎に包まれて燃え盛りながら家々をなぎ倒して行く津波の映像が目に入った。

何が起こってるの!? 日本の状況が全くつかめず、狂ったように妻や実家に電話したりTwitterやUstreamにつないだりギズモードのライターたちと連絡をとりあったりしていた。
せっかく数年ぶりの、しかもたった5日の海外旅行なのに、近所のスーパーで買ったバゲットとカマンベールチーズだけをひたすら齧りながら、ほとんどホテルの部屋にいた。必要に迫られて外に出ると、フランスの人々は口々に僕に「ジャポン大丈夫か?」「家族が心配だな」「オレは日本が好きだ」「日本に黙祷を捧げる」「日本はこういう災害には慣れているんだろ?」などと話しかけてきたが、パリの街自体は普通に淡々と日常が進行していて、みんな豊かで幸せそうで、だから日本で起きていることが、たまらなく非現実的に感じられた。1万4千人が参加したダンスイベントでは、日本へ1分間の黙祷が捧げられる一幕があった。

帰る段になって、エア・フランスが「放射能で汚染されてるかもしれないジャポンなんかに飛ぶわけないじゃんwww」とストを敢行し、飛行機が飛ばないことがわかった。日本に残してきた妻と娘が心配で心配で、半泣きになりながらありとあらゆる帰国ルートを探った(探ってもらった)。ほぼ1日遅れで帰国できた。飛行機代はエア・フランスがほぼ全額持ってくれた。一緒に行った大阪のダンサーの子たちは、お金が返ってきた!と喜んでいた。

帰った瞬間に着信したメールは友人からで「成田は放射能が届いている可能性があるから、今着ている服や鞄は全て捨てた方がいい。あなたもすぐにシャワーを浴びた方がいい」という忠告だった。空港は閑散としていて、照明も最低限。まるでゴーストタウンのようだった。
これから先がどうなるか、全く検討もつかなかった。

1ヶ月後、妻が次女を身ごもっていることがわかった。ということは3.11当時は既に妊娠していたことになる。たまたま妻は僕がフランスに行く直前に実家に帰省していた。当時は、帰省していてくれて本当に良かったと心から思った。僕も帰国後はしばらく妻の実家で過ごした。
心配で不安定な日々を、次女が産まれるまで過ごした。次女は今とても元気で、3ヶ月の割には丸々と太って、よく笑い、手遊びが大好きだ。

3.11を機に今まで考えなかったことを考えるようになったかというと、嘘になる。もともと心配性の僕は、昔からあれやこれやと考えていて、そのバリエーションと深みが増したとはいえ、例えば高橋源一郎さんやしりあがり寿さんのように、全く違うパースペクティブを得たという域には至ってない。
しかし、この1年間は、震災とは別に、しかし震災とシンクロするかのように、いろいろと心的に大変なことが立て続けに起きた。それが僕なりの心境変化の表現方法だったのかもしれない。

まったく、なんという1年だったのだろう。奇妙な言い方だけど、それでも僕は愛する近しい人たちと共に生きて行く。状況に流されず。

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