テキストをプロのナレーターが読み上げてくれるサービス「Qasvee(キャスビー)」(Qasvee個人版、Qasvee法人版(現在キャンペーン中))。
これのPRの一環として、前回は小鳥ピヨピヨの記事をひとつ読み上げてもらい、あまりの恥ずかしさに死ぬという経験をさせていただきました。
そして今回。
今度は普通の記事じゃなくて、僕が去年の年末から少しずつ進めている「創作もの」プロジェクトの最新版である、小説「バレンタイン・イブ」が朗読されました。
CDドラマみたいになるのかなあ……
以下が問題のブツです。
まず前編。
あー……
前回より相当アリになってます。
「道玄坂……」を書いた数年前から今日に至る間に文章力が上がったのか、あるいは自分の心の中をトレースする普通のブログ記事と、情景描写などがメインになる創作モノとでは心臓へのインパクトが違うのか。
何が原因かわかりませんが、今回は特にHPが激減したりしませんでした。良かった(泣)。
聴き続ける勇気がわきました。
次に中編。
女性キャラの声がミサトさんに少し似てる!?
複数のキャラでそれぞれ違う声優を割り当てていただいているようで、そんな手間隙かけていただいて大変恐縮です。
いいですね複数の声。なんだか物語が立体的になります。
さて、後編はどうなるのでしょう。原作の、あの最後のテンションの急上昇とコンプレックスの噴火がどう表現されているのか……楽しみです。
僕の考えとは違うんだけど、これはこれでアリですね!
文章だけで作られた物語って、読み手の想像が入る余地がたくさんあるので、受ける側それぞれで違う世界が生まれるんですよね。僕の頭の中のハリー・ポッターとあなたの頭の中のハリー・ポッターは恐らく全然違う。
そこが楽しい部分でもあるし、また面倒な部分でもあります。ラノベで表紙や挿絵が重視されたり、小説がアニメ化したりコミカライズされたりすると一気にその物語を楽しむ人が増えるのは、基本的にはこの「想像しなきゃいけない手間」を一部省いてくれるからじゃないかと。
今回の場合も、ディレクターやナレーターの解釈が反映された結果、僕が書きながら頭に思い描いていた物とは異なる形になっています。でもそれは、複数人の意思が入ってよりリアルに、重層的に強化されたんじゃないかと、そういう風に解釈しました。
世間でよく言われる「作品が作者の手を離れてそれ自体生き物となる」という感覚を少し経験した気がします。
いや楽しかった! オトバンク様、このたびは貴重な機会をいただきまして、誠にありがとうございました。