そういえば先日、BOØWYライブのドキュメンタリー映画を観てきたんです。
「BOØWY 1224 FILM THE MOVIE 2013」という、1987年クリスマスイブの、解散宣言が飛び出した伝説のライブの映画。
もうたぶんどこも上映終了してるので、こんなことを言うのはとても気が引けるのですが……最高に格好良かったです!
入れないのに渋谷公会堂を取り囲むファンの群れ。氷室の声。布袋のギター。松井のベース。高橋のドラム。
一番生命エネルギーがノリにノリまくってる人間特有の、奔流のように激しいオーラを感じます。特に後半の展開には狂気を感じました。
それにしてももう25年も前ですか。
僕がBOØWYを知ったのは、彼らが解散した直後でした。ヒップホップとかベストヒットUSAとかにうつつを抜かしている内に、気がついたら東京が、どこに行ってもBOØWYの曲が流れている、という感じになっていたんです。
恐らく単に人気があったから、だけではなく、解散したから、というのもあったのだと思います。マイケル・ジャクソンも、彼が亡くなってから1年強くらい、どこに行っても彼の曲が流れていましたが、ちょうどあんな感じでした。
その影響で、僕もBOØWYに興味を持ったのです。
そして、雑誌の表紙だったかな、何かを見て、驚愕したのです。
氷室の頬っぺが、あまりにもないことに。
いやマジで驚きました。だってなさすぎるでしょ!? ガリガリに痩せているというわけではないのに、まるでそこだけ彫刻刀で削ったかのように、頬っぺたがエグれているのです。
その頬っぺは、僕に強烈な印象を残しました。
何なのこれ!? 頬っぺ!?
何だかわからない! これ格好いいの!?
格好いい気がする! でもあまりにもなさすぎるでしょ!?
写真の写りを、僕は疑いました。
たまたま頬が痩けすぎているように写った奇跡の一枚だというだけで、本当はそんなでもないんじゃないか、と。
それ以来、BOØWYの写真が雑誌やポスターや何やらで見るたびに、僕は注目するようになってしまいました。
氷室の頬のこけ具合を確認するためです。本当にあんなに頬っぺたが凹んでいるのかどうか、それが知りたくてたまらなくなったのです。
結果は、いつも僕の負けでした。
氷室の頬っぺたは、いつも、僕の想像よりさらに凹んでいました。
布袋の顔が(当時の)メディアに出るにはあまりにも(当時は)普通で地味な人すぎるというのも気になっていました(なにせ当時は、あのダイナミックかつセクシーに動く長身の布袋を見たことがなかった)が、そんなの問題にならないくらい、氷室の頬っぺたの異常さは、圧倒的でした。
そして、それが原因で、僕はBOØWYにはまっていき、アルバム5枚を全部聴き、お気に入りの曲をお気に入りの順番に並べ直してカセットテープに録音し、ラジカセで延々と流すようになりました。今でも、全曲をiPhoneにブチ込んでシャッフルして聴くことがあります。
僕は、思うんです。
BOØWYの成功の秘密の一つは、氷室の、あの頬っぺたなんじゃないかと。
デビッド・ボウイをさらに何枚か削ったかのようなあの頬。あれがBOØWYに、単に「格好いい」とか「不良そう」とか「新しい」とかを超える、異常で特別な印象を皆に与えていたのではないかと。アーティストの写真がズラリと並ぶ中で、とりあえず目が引きつけられて「ちょっと聴いてみようか」と思わせる理由になっていたんじゃないか、と。
だって、一度見たら忘れられないでしょ、あれ。
当時から2013年の今に至るまで、いろんな人に会ってきましたが、あんなに頬が削れている人は、見たことがありません。
みんな気にならないのかなあ……そういえば今まで、いろんな人と、氷室の声の良さやヤンキー性やマイクの持ち方については話したことがあるけど、頬っぺたの話になったことはないなあ……
僕だけだろうか……
まあいいや。とにかくそれから20年以上の歳月が過ぎ。
今回のドキュメンタリー映画を観ていて、気づいたのです。
まだ僕は氷室の頬っぺたをチェックしている、と。
本当にそんなに痩けてるの? メイクじゃないの? 照明のせいじゃないの?
映画全体を楽しみながらも、頭の隅っこのどこかで、ずっとそれを確認している自分がいる。
そして今回も、やはり僕の負けでした。
やはり氷室の頬は、あんな風に削りえぐられているようです。
いったいどうなってるんだろう? 触ってみたい。と言って終わると問題がありそうなので、その思いはグッとこらえつつ。
参考:当時のBOØWYのアー写より↓