最近、本を読むのが遅い。超遅い。
理由はわかっている。じっくりと読みすぎるのだ。
好きな本、自分に合った本であればあるほど遅い。
本を読んでいて、琴線に触れたりピンと来たりする行に出会うと、「あぁ……」と嘆息し、しばらくその文章を頭の中で反芻し、しみじみと味わってしまう。
多くの場合はそのまま本を閉じ、その文章を心に刻みながら、風呂に入ったり寝てしまったりする。
結果として、全然読書が進まない。2日経っても3日経っても、同じ本を読んでいる。
しかし読みたい本は溜まるので、つい買ってしまったり図書館で借りてしまったり、あるいはAmazonの欲しいものリストをブックマーク代わりにして、リンクを保存しておく。
また、ありがたくかつ申し訳なくも献本も多数いただく。しかも何かリサーチでもしているのか、いただく本いただく本、どれもこれも読んでみたい本ばかりだ。
そして、読書リストが溜まる。ToDoリストのように溜まる。鬼のように溜まる。天地創造で山が隆起したかというくらい溜まる。
溜まったなぁ、と思うと、どんどんと、何もかもが嫌になる。逃げ込む場所は、以前読んで本棚にしまった本だ。
既読の本は未読の本よりも読む時の気合いが少なくて済む。そしてお気に入りのページだけを再び読み直して、「あぁ……」と嘆息し、それで満足してしまう。今読み途中の本はそのままになる。
そして1週間が過ぎ、2週間が過ぎる。
全然読み終わらない。いつまで経っても枕元にあるし、鞄の中に入っているし、テーブルに置かれているし、尻のポケットに入っている。
先日も、「銃・病原菌・鉄」や「文明崩壊」でおなじみのジャレド・ダイアモンドの新作「昨日までの世界」が出たので、さっそく買った。
とても面白そうなのだが、なにしろ上下巻合わせて800ページある。
いったいいつ読み終わるのか、不安でならない。下手すると半年くらいかかるかもしれない。秋が深まってくる。
フォトリーディングも独自の速読法も一応できるが、ちと理由があって、最近それをする気にならない。
理由。それは、自分でも本を書きたいと思っているからだ。
今年の目標として、KDPでも、あるいはご縁があれば紙の本でも、どういう形でもいいから、まとまったボリュームの文を書きたい。
だから本の「細部」が気になってしまうのだ。構造や章の構成とか、ああこういう修飾語を使ってくるか!、とか、語尾のバリエーションはどうなっているか、とか、そういうところにばかり目が行ってしまうのだ。
もっと気軽に読書を楽しみたい、以前のように読み飛ばして遊びたいのだが、「そういえば神って細部に宿るんだっけ」みたいな余計な名言を思い出してしまい、読み飛ばせない。
でもまあ書き手としては細かいひとことひとことに気を使って書いているはずなので、僕のような読み方もたぶん嬉しいだろうな、と、自分で自分を慰めている。
で、ございます。
文章表現という意味で僕が圧巻だと思っているのは、やはり村上春樹と、あと町田康です。
町田康は小説も凄いですが、短いエッセイも神がかっています。面白すぎます。大爆笑の嵐です。
テースト・オブ・苦虫、もし機会があればぜひ一度お読みください。
テースト・オブ・苦虫〈1〉
町田 康 (著)