超ヤバい! サンタを殺っちゃった!
あたしは、足元に転がる大きな死体をながめながら、心の中でそう叫んだ。
いや正当防衛よ。正当防衛っしょ。
だって考えてもみてよ。
夜中にいきなり、音もなく窓から侵入してくる誰か。
暗くてよく見えないけど、大きくて毛むくじゃらな誰か。
驚いて全身の毛が逆立つ。けど、そいつの運が悪いことに、あたしの戦闘能力はただ事ではない。
あたしの名前は風魔ナナ。我が一族には、古来より門外不出で、暗殺術、隠身術、格闘術、呪術、走法、呼吸法、明眼之法、遠見、小音聞きなどなどが伝わっていて、16歳☆たる私も、未熟ながらも、ひととおり身につけてはいる。
しかも、あたしは速い。自分でもびっくりするくらい動きが速い。たとえば蚊をつぶし損じたこととかない。
適当な武器さえあれば、たいていの人間には、負ける気はしない。
そういえば、学校の体育の先生が、下品なこと言ったりずっと走らせたりして、あまりに嫌なヤツだったから、一度お灸を据えたことがあったっけ。
すれ違いざまに、あわててぶつかるフリをして、上から六、七、八番目の肋骨にコンコンコンってトンカチを当ててやったぜ。
あの太ったヒゲジジイ、肋骨にヒビが入ってるのに気づいたのは次の日になってからだったらしいわ。けっけっけ。
話がそれすぎちゃった。えっと、とにかくあたしはどうしたかというと、ひと呼吸も待たずして、音を立てずにベッドからスルリと滑り落ち、地面すれすれまで身体を低くして部屋を出て、パジャマのまま台所まで走った。
引き出しから大小2つの包丁をとりだし、それぞれを順手と逆手に構える。
部屋に戻った。
侵入者はあたしに気づいたけど、動きは鈍重だった。
「ホッ、ホー」と低い声を上げ、肩にかついだ巨大な袋を下ろそうとしている。
クソトロい。
たとえあの袋の中に入っている武器が、毎秒70発以上の弾丸を打ち出すガトリング銃だったとしても、こんなトロさだったら、絶対にあたしには勝てない。
あたしは目にも止まらぬスピード(自慢)で目標に急接近し、アッパーの要領で、包丁をアゴ下に突き刺した。
同時にもう片方の包丁を腹に刺した。
腹の方は特殊繊維のような毛皮のようなものではじかれたけど、アゴの方は確実に刺さった。
左右にねじる。相手はゴボッと血の泡を吐き、痙攣しながら、あお向けに倒れた。
動かなくなったのを確認して、あたしは緊張を解いた。
久しぶりに人を殺めた。
さて、この家に侵入してくるなんて、どんだけ運の悪い犯罪者なんだろう。
確認するために、部屋の明かりをつけた。
そしてあたしは見た。
血溜まりの中に倒れる巨体を。
高さは190cm近く、体重は150kg余裕でオーバーしてると思う。
赤と白の、毛皮のコートと帽子をかぶっている。
白く豊かな髭を生やしている。大きな袋をかついでいる。
超ヤバい!
これ、どう見ても、サンタクロース!
クリスマスイブの夜、世界中のいい子たちに、おもちゃやお菓子を置いてまわる、善と夢の象徴、あの優しいサンタクロースおじさん!!!
そのサンタを殺っちゃったわけ!?
あたしが!?
そういえば今日は12月24日だわ……
夕食が肉じゃがとひじきだったから気づかなかったけど、クリスマスイブだわ……
でも待って!
そもそもサンタクロースって本当にいるんですか?
いやいやいませんー全然いませんーそんなことくらい知ってますー。
そうよ当たり前よ。
コイツはやっぱり、サンタクロースの格好をしてるただの犯罪者で、あたしがやったことは、正当防衛だわ。
あーびっくりした。一瞬マジで焦っちゃったじゃまいか。
ふうっと安堵して、何気なく窓の外を見た。
あたしの両目は、明らかに自分でもわかるくらい、限界まで、大きく大きく見開かれた。
ベランダにぎっしりと、トナカイが鎮座ましましていたのだ。
全部で九頭。それぞれがデカい。どっからどうみても四足獣。
月光に照らされ、大きなツノが、夜の虚空に幻想的な模様を形作っている。
「ソ、ト、ソソ、ト、ソ、トトト、……」
あたしは声にならない声をあげた。
トナカイたちが、いっせいにこちらを向いた。
真っ黒い瞳があたしを射抜く。
うち一頭が、こう言った。本当に、しゃべった。
「ソリか? 後ろにある」
日本語を。
いったい何が起きているの!?
あたしは暗殺術も何もかも忘れて、呆然と突っ立った。
全く状況についていけてないあたしに、トナカイたちが、自己紹介をしだす。
「挨拶が遅れて申し訳ない。オレはダッシャ-」
「私はダンサー♪」
「わらわはプランサー」
「わたくしはヴィクセン」
「我はコメット」
「ぼく、キューピッド! よろしくね!」
「拙者、ドンダ-と申す」
「儂はブリッツェン、ヘックション! おお寒い」
「そして我が名は、ルドルフ。二つ名は『赤き鼻』」
あんまり流暢にしゃべるもんだから、あたしもつい返事をしてしまった。
「あたしは風魔ナナ……って、お前らだれやねん!」
トナカイたちは互いに顔を見合わせて、さも意外そうにこう返してきた。
「もちろんトナカイだが? それ以外の何かに見えるとでも?」
あたしはかぶりを振った。これ以上やりとりしたらコントになる。
でもこれは現実。真夜中に、日本のマンションのベランダで、トナカイたちが押し合いへしあいしているのだ。
嫌過ぎる。
あたしは立ち上がって、言った。
「えっと……動物相手にトークするなんて、頭がおかしくなったんじゃないかって自分でも思うけど、どうやら本当に話が通じそうだから、このまましゃべるわ。帰って」
九頭が声をそろえて「は?」と言った。ハモってんじゃねーよ。
「帰れっつってんだよ」
「帰る?」
「そうよ。グリーンランドだっけ? 家、あんでしょ?」
トナカイたちが、低い声を出してあたしをせせら笑った。
まるで何も知らない素人が、掲示板にアホみたいなFAQ中のFAQを書いたときみたいに。
イラっときた。
殺るか?
殺れるか? 九頭のトナカイを相手に。
手の中の包丁がギラリと光った。
あたしが頭の中で戦略を立てようとしたそのとき、トナカイのうち一頭が、意外なことを口にした。
「よろしい。いったん帰ることにするから、一緒に来ていただこう」
あたしは虚をつかれた。
一緒に行く? なんで?
「なんで?」
トナカイはさも当然といった風に、サラリとこう言ってのけた。
「あなたが、新しいサンタクロースだからだ」
しばらく返す言葉が見つからなかった。
「……へ?」
「だから、あなたが新しい我らの主、サンタクロースなのだ。だから一緒に来ていただこう」
「なに言ってるの?」
「あなたは前任者を葬ったであろう。現サンタクロースを倒したものが、新しくサンタクロースの称号を得るのだ」
「なにその設定!?!?!?」
「あなたは今日から、サンタクロースだ」
「はあぁぁぁっっっ!?!?!?」
あたしは思わず叫び声をあげた。
そしてパパやママが来ないかと、後ろを振り向いた。
「無駄だぞ。我らの存在している空間は光速の99.999999%で動いている。時が経つのが極めてゆっくりなのだ。声も音もまだ外には届いていない」
「え? え? なんで?」
「『なんで?』って、それは」トナカイがまた上から目線で笑った。「全世界のいい子たちに一晩でプレゼントを配るには、それしか方法がないではないか」
あたしは思わず、普通に質問した。
「本当にプレゼントを配っているの?」
トナカイは意外そうな顔をした(ような気がした。獣の表情だから自信ないけど)。
「当たり前ではないか。サンタクロースをなんだと思ってるんだ」
「でもあたし、今までそんなの全然気づいたことなかったけど」
「ああ、それは……」
トナカイは少し言い淀んだ。
「……我々はいい子のところにしか行かないからな……いい子は毎年、子ども全体の1%ほどだから……」
……チッ。確かに素行は良くないけどさ。
「でも1%といっても一千万人以上いるのだぞ。これを一晩でさばくのは大仕事だ。光速移動をフル活用したとしても、ひとりの子どもにかけることができる時間は、たったの10秒」
「10秒!!!」
「10秒で部屋に侵入し、子どもの枕元にプレゼントを置いて、なんならちょっと頭をなでたりなどして、痕跡を残さずに脱出せねばならん。忙しいぞ」
ここでトナカイはひと呼吸おいて、さもいい提案だ、という風に、こう言って話を締めた。
「スピードが要求される。あなたにはピッタリな仕事ではないか、な?」
どうやらマジらしい。
あたしがサンタクロースになる? トナカイのひくソリに乗って夜空を駆け巡り、目にも留まらぬ速さで子どもたちにプレゼントを置いていきまくる?
いやまさか、だってそもそも、
「あたし女だし」
これは決定打でしょう。だってサンタクロースといえば白いヒゲをはやしたお爺さんなわけだから。
でも、トナカイたちの返事はこうだった。
「服がダサいのが問題か? だったらちょっと縫い直して、ミニスカサンタにしてしまってもよいぞ」
ダメだった。余裕でかわされた。
トナカイたちは、貴重な時間が刻々と過ぎていくのに、イラつきだしたようだ。
「ほら何をしている。さっさとソリに乗れ。時間がない。夜が明けるぞ」
あたしはあとずさった。
「いやだって急すぎるし、心も身体も何の準備もできてないし」
「何を贅沢な。百年もの間、この栄光ある座を狙って、毎年のように何百何千もの挑戦相手が現れては、返り討ちにあっていたのだぞ。その猛者の中の猛者を、あなたは倒したのだ。いまさら何を迷うことがあろうか」
「いや迷うでしょ! てかサンタにそんな戦いの歴史があったなんて知らないし!」
「ええい! 面倒だ! ライトニングボルトッ!!!」
九頭のトナカイのツノが、一斉に蒼い光を帯びて放電した。
あたしの部屋のあちこちで稲妻が跳ねる。
なにこの強そうなの!?
喰らったらアウトだ!
「本意ではないが、あなたを気絶させ、われらの屋敷に連れて行かせてもらう! サンタクロースの衣装を着て、子どもたちに配るプレゼントを背にすれば、気も変わるだろう!」
「ちょちょちょっと待って待って!」
あたしはあちこち飛び跳ねて(奇跡的に)雷撃を避けながら、必死の思いでこう叫んだ。
「待って待って! あたしより適任がいるから! 紹介するから!」
「適任?」
一瞬だけ雷撃が止んだ。その隙をついて、あたしは一息にまくしたてた。
「そう適任!サンタにピッタリ!白ヒゲデブのおじいさんだからあれ?担当変わった?みたいな疑いをかけられないし体育の先生だからどんな激務でもへっちゃら!超いいよ!掘り出しもの!そもそもミニスカサンタは趣旨が違うでしょ?やっぱサンタは白いヒゲのおじいさんでしょ?とにかく絶対マジ間違いないから一目でいいから見てきて」
ここで息を使い切った。
ぜーぜーはーはー。
トナカイたちは、互いに顔を見合わせている。
何か話し合っている。聞き取れない。きっとトナカイ語か何かなのだろう。もう、たいていのことには驚かない。
話しが止んだ。どうやら結論が出たらしい。
先頭のトナカイが、こちらを向いた。
鼻がサーチライトのようにギラギラと輝き、部屋を赤い光で満たした。『赤い鼻のルドルフ』だ。
「よろしい」
ホッとした。
「その候補者に会ってみよう。住まいは知ってるか?」
住まい? もちろんです! と、あたしはマッハ速攻で住所の書かれた名簿帳を見せた。ついでにiPhoneで地図まで表示してあげた。ものすごく親切になっていた。
ルドルフは大きな黒目で地図を確認し、そして言った。
「大体は把握した。念のためついてきてくれたまえ」
えっ!? まだ危機が!?
あたしはあわてて身構えた。
ルドルフは、フッと静かに笑った(ように見えた)。
「大丈夫だ。あなたの気持ちはよくわかった。連れ去りはしない。単に道案内を頼むだけだ」
なおも警戒するあたしを見て、ルドルフは軽い調子でこう付け加えた。
「ソリで大空を飛んでみたくないか?」
……数分後、あたしはなんと、夜空を舞っていた!!!
最高の気分だった。パジャマの上にコートとマフラーを羽織っただけだけど、寒さなんか全然気にならない。
シャンシャンという鈴の音が心地よく風を切る。
ひずめの音がリズミカルに響く。
月も星も、いつもよりたくさん見える。
冷たい風が、頬を、鼻を、おでこを、口の中を、髪の間を、首筋を撫でる。
速い。速い。その疾走感と開放感! なんて素敵なんだろう!
「さいこう!」
あたしは思わず叫んだ。トナカイが振り向いて、微笑んだ(ような表情に見えた)。
「どうだ。サンタクロースになるのも、なかなか悪くないだろう?」
「それとこれとは話が別よ。ね、あのさ、ところでひとつ聞きたいことがあるんだけど?」
「なんだ?」
「なんで今年に限って、サンタさんはあたしのところに来たの? いつもに比べて特別にいい子にしていた記憶はないんだけど?」
トナカイは、しばし考え込むように沈黙した。
そして、こうつぶやいた。
「恐らくだが……彼は死に場所を探していたのではないかな。自分を倒してくれる相手、自分より強い相手を。サンタは自分では辞めることもできないし寿命もないから」
……ぜんぜんロマンチックじゃない。聞くんじゃなかった。
直線距離で飛んでしまえば、先生の家まではアッという間だった。
トナカイのうち一頭がベランダに降り立ち、ツノで窓をノックして、出てきた先生と相対した。
あたしは他のトナカイと一緒に、空で待機していた。やがて交渉役のトナカイが戻ってきてトナカイ語で何かを伝えると、他のトナカイたちはうなづいて、あたしに言った。
「無事に新しいサンタクロースが決まったようだ」
自分で紹介しといてなんだけど、一体どういう交渉をするとサンタになるなんて提案が通るのか、まるで想像がつかない。
まあいいや。めでたいめでたい。
トナカイたちは、ブルルルッと喉を鳴らした。再び空を駆ける準備だ。
「さあ、あなたを家に送るとしよう」
空を飛ぶのも終わりか、ちょっと残念だな。
あーあ、帰ったら、あの死体をなんとかしないといけないわ……
あたしの懸念が伝わったのか、トナカイが、こう話しかけてきた。
「前任者だったら大丈夫だ。今ごろ消えて星になっているだろう」
「あ? そうなの?」
「そうとも。なんといってもサンタクロースは」ここでトナカイはウインクした(感じに見えた)「伝説の存在だからな」
……と、これがあたしのクリスマスイブの物語。
翌日は家族からクリスマスプレゼントをもらって、鶏の唐揚げをたらふく食べて、大晦日になって蕎麦を食べ、新年が開けて初詣に行って、お雑煮を食べて、お年玉をもらうため親戚を回っているうちに冬休みは終わり、新学期になった。
登校して、掲示板を見てみると、体育の先生が交代する旨の案内が出ていた。
「えーなんでー?」と噂している同級生のそばを、あたしは素知らぬ顔で通りすぎた。
<完>