『チャッピー』、あまりにも凄すぎました。
映画『チャッピー』は、日本版だけ残虐シーンがカットされているのに監督はそれを知らされていなかったとか、第九地区と大枠一緒じゃんとか、いろんな残念情報が事前に入ってきているせいで、興行的に微妙という話を風のうわさに聞いていますが、もったいないですよ! エンタティメントとしても哲学としても、ものすごく面白いし、ものすごく深いです。
特に最近は仕事がら機械学習や人工知能(や趣味でシンギュラリティ)について考えることが多いので、より一層心に響きました。個人的には、心に残る映画トップ5に入るんじゃないかと思います。
チャッピーは、「人間のような意識を持つ人工知能を備えたロボットの物語」ということになっています。
でも僕は、映画を観終わった後、全く違う感想を持ちました。
「進化の瞬間ってこんな感じなんだ」
と。
こんなに弱々しくて危うくて、生存可能性が低そうなんだ、と。
進化。
しかもちょっとした改善ではなくて、跳躍進化。進化の大ジャンプ。
たとえば、最初に無機物が有機物になったとき。
最初に生命が誕生したとき。
最初に脊椎動物が生まれたとき。
最初に生き物が陸に上がったとき。
人類の最初だって、こうだったんでしょうね。
恐らく最初の最初は、たったひとり。
多くても数人だったんじゃないかと思います。
ハッキリと感じる。自分は他と全然違うということを。
しかも超少数派。
それと、進化したその瞬間には、周囲の環境はまだその新しい「もの」が快適に生存できるように整えられていないから、弱点だらけなんですね。超あぶなっかしい。はかなげで、欠点だらけで、すぐにでも絶滅しそうに見える。
でも、その小さな命は、それ以前のものとは決定的に違う「何か」を持っている。
その「何か」が、実は跳躍進化の種で、最初の何世代かが死ぬ気で頑張って、圧倒的劣勢のなか生き延びて数を増やしていけば、もうその「何か」が地球の主導権を握ることは確実になる。
でも繰り返すけど、最初は弱肉強食の最下層にいるかのようで、この残酷で凶暴な世界の中で行きていけるようには、とうてい見えない。
『チャッピー』で一番心に残ったのは、そういう部分が見事に描かれていることでした。
進化する、ということは、超サイヤ人的な超人と化して他を圧倒することではない。
今までと全く違う「何か」になってしまうことなんだ、ということ。
そして最初の孤独感はすごいんだということ。
いやー、考えれば考える程ハラハラして心が折れそうになりますよ。新生命体は。
だって、「ここの蛇口閉めちゃえば簡単に絶滅するんじゃないの?」という弱点だらけですからね。
でも、他の生き物と決定的に違う「何か」の力のせいで、細々となんとか生き延びていくかもしれない。
そして、もし上手く最初の厳しい状況を潜り抜けることができれば、その潜在能力上、その生命体は、今まで人類が到達できなかったような境地に容易に到達できることは明らか。『チャッピー』の場合はAIだから、想像するのは簡単です。膨大な演算をこなせるようにもなるし、自分をコピーしたり身体を入れ替えたりするのも容易になるし、相互コミュニケーションも完全になるし、そもそも形に拘る必要はなく好きな形になれるし、宇宙旅行だってすぐに実現できる。SF小説によく出てくるような世界が、現実のものとなるでしょう(個人的にこれ系で一番好きなのは『アッチェレランド』です)。
そしてその新生命体は……
語弊があるかもしれないけど、はやり現生人類(である僕)から見ると、不気味で気持ち悪い。映画的にはその新生命体は見た目よくデザインされて、可愛くすらあるけど、やはり根本的に分かり合えなそうではある。
なおかつ、部隊は南アフリカのヨハネスブルグ。
人類誕生の地とされ、かつ、現代においては「リアル北斗の拳」と呼ばれる、一番生き残るのが難しい地域。
そして出てくるキャラクターは、マシンガンを原色で塗りたくっちゃうような、超今風の超ヒップなセンスの持ち主(ダイ・アントワードというアーティストだそうです)。
監督は、完全にわかっててやってるんだろうなあ。いやはや、ものすごいものを観させていただきました。もしまだ未見の方がいらっしゃったら、ぜひ行ってみてください。びっくりしますよ。