任天堂の岩田社長がお亡くなりになった。僕は全然近しくないし、特に詳しいわけでもない。何の資格もないのだけど、でも何か書かずにはいられない。このテキストは書き終わったらどこに掲載されるのだろう? ShortNoteか「えいっ」か、もしかしたら本体(小鳥ピヨピヨ)か……それすらもわからないまま、ただ、こみ上げてくるものだけを一筆書きのように一気に書き上げ、推敲せず、どこかにアップし、我が黒歴史に新たな1ページを加える。
実は、Wiiが出る前、「今度出る任天堂ハード機の中に読み物コンテンツがあるのだけど、そこの編集長をしませんか?」と打診されたことがある。
2006年だったか、あの当時、僕はニフティを辞めたばかりで次の就職先を探していた。そんな折の(名前を出していいかわからないので伏せておくが、とある優良コンテンツ製作部隊なのにビジネスモデルが物販の会社を経由して)オファーが来た時は、興奮した。
あの、当時日本人全員が最も苦手だと反省していた「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」でもって世界を圧倒している、日本の誇る超最高にクールでイケてる企業、任天堂と仕事ができる!?!? ワオ、そんなことが起きるなんて! シンクロニシティ万歳!
……まあ、結局は、その企画自体が中止となったわけだけど、そのときから、ずっと任天堂の経営、特に岩田社長に注目するようになりました。
前社長の残した潤沢な資産を背景に、次から次へと繰り出される新しい施策。それは「ゲーム」という概念の膜を内側から押し広げる作業であり、非常に冒険的で、はたから見ていても興奮するものでありました。人気タイトルの続編を出して日銭を稼ぎつつ、任天堂は常にチャレンジを続けていました。
そして、そのチャレンジをすることになった背景やコンセプトを、岩田社長はいつも明快に説明していました。誰が聞いてもハッキリと理解できるほど明快なその説明に、僕は感動しました。個人的には、岩田社長は、日本で唯一、いや世界でも超数少ない、スティーブ・ジョブズに拮抗しうるプレゼン力を持っていた人だと思っています。
そんなことを、当時ブログに書いていました。ブログってこうやって昔何気なく感じたことを思い出せて、本当に便利ね。みんなも何かを思ったらブログに書き留めておくといいよ。もちろんShortNoteでも歓迎です。
ところが、iPhoneが出てiPadが出てスマホが出てタブレットが出て、専用ゲーム機は苦境に陥ることになりました。
「ガチゲームはPCで、軽く楽しむのはスマホで」みたいな世界で、任天堂は次の超大変化を遂げなければいけない、まさにその正念場のときでした。
そんな困難な状況に挑めるのは、岩田社長しかない。そう考えていた矢先だったので、岩田社長が亡くなったというのが、僕はショックでショックでたまりません。僕はいわゆる任信(任天堂信者)ではないけれど、岩田信者ではありました。今年か来年か、あるいは5年後か、必ずや岩田社長は新しいイノベーションを起こして、ゲーム(+αで、ゲーミフィケーション的要素がとても効果的な)業界を一変させ、さらに世界を一変させてくれる、と信じていました。
と、ここでいきなり変なことをいいますが……
僕はどうしたらいいのだろう?
もちろん、僕と岩田社長のあとをほんの少しでも継げることなんて、全然ない。能力が違いすぎるし、任天堂社員でもゲーム会社社員でもないし、そもそも業界も違うし、なんというか何もかも違う。関係なさすぎる。
最近観て、あまりに出来がよくて感心した「LEGOムービー」に例えると、岩田社長は選ばれしマスタービルダーだけど、僕は名もないモブなミニフィグに過ぎない。
でも、社会の一員として、何かしないといけないんじゃないかと焦る。岩田社長が抜けた穴はとてつもなく大きい。またLEGOムービーの喩えに戻るけど、何千人、何万人の無名の凡人ミニフィグたちが、その内側に秘めているアイディアや創造性を発揮して、たとえそれがどんなに変てこりんで無意味そうだったとしても、どんどんやっちゃっていかないと、岩田社長の抜けた穴は(社会的な意味で)埋まらないのじゃないかと思う。
何か大きな欠落があると、その欠落を埋めるために、他の全てが総動員される。
個人の精神においてもそうだし、社会全体でも本来はそうであるべきだと思う。
それにしても、この僕に? いったい何ができるのだろう?
自分の持ち場で、岩田社長の意志の一部でも引き継ぐということは、何をすることを意味するのだろう?
岩田社長のご冥福を心よりお祈り申し上げすぎて、今、そんな悩みを、誰にも頼まれていなのに勝手に抱えています。
以上です。任天堂や岩田社長やゲーム業界に詳しい方から見たら苦笑ものの記事だと思います。すみません。
それにしても大変に惜しい人物を亡くしました。スプラトゥーンが絶好調な最中だけに、よけい惜しまれます。