ゲームが、物語から行動心理学に変わっていく


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以下の記事を読んで思ったことなど。

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ソシャゲやスマホのゲームにゲームの主流が移ってからというもの、ゲームというものが、新しいエンタティメント、新しい表現形態、新しい物語から、行動心理学の実践のようなものに変わってしまったように感じている。

僕は熱心ではないが、それなりにはゲームをしてきている。一番プレイしたのは、NECのPC8801mkIISRというパソコンで出たゲーム。あの当時のパソコンゲーム業界は、奇跡のような世界だった。以下に(なんとキャプチャ画像と共に)思い出の作品をリストしているので、よかったら見てみてください。

僕が惚れ込んだPC88ゲームたち:小鳥ピヨピヨ

若くて感受性が豊かだったせいもあると思うけど、当時のゲームは本当に素晴らしいものだった。ダンジョンに入ると、湿った空気を感じ、遠くからコウモリの鳴き声が聞こえてきた。優秀な武将は偉大なるオーラを放っていた。謎のマークやアイテムは、我々の知らない未知の世界がこの世にあることを暗示していた。そこは神話的世界であり、異世界であった。だから糸井重里がMOTHER1と2において「あちらの世界」と「こちらの世界」を唐突につなげてしまったとき、文字通り心臓が揺らぐほどのショックを覚えたのだと思う。

今はどうだろう? たとえば僕が今やっているゲームは、「星のドラゴンクエスト」と「勇者ヤマダくん」だが、そこには「世界にのめり込む」という要素はない。代わりに感じるのは、膨大な行動履歴データを喰らい尽くすシステムと、それ分析するゲーム提供者の意思。射幸心や承認欲求を最も効率的に高める方法を模索し、その確度は、80%、90%、95%、99%、99.9%……と上がっていく。そんな怪物の姿をイメージする。

確かに、価値観が多様化している今、何にどれだけのお金を払う価値を感じるかは人それぞれなので、「基本無料。価値を感じたら課金。課金は青天井」の方がフェアと言えなくもない。どうしようもなくつまらないゲームに3000円払ってしまったときの虚しさより、さんざっぱら遊び尽くしたソシャゲに3000円課金してしまったときの虚しさの方が、まだマシだとは思う。

それでも。

ゲームから、哲学が、物語が、死生観が、神話性が、メッセージ性が失われていくのは、寂しい気がする。それがなかったら、ゲームをやる時間は、本当に無駄な時間でしかないのではないだろうか? あるいはそのような「学び」は、ゲーム開発者から与えられるのではなく、自分が主体的に発見していくべきものに変わったということなのだろうか?

それに、哲学や物語や死生観や神話性やメッセージ性が高いゲームは、往々にして、長時間そのゲームに集中しなくてはならない。残念ながら大人になって雑務が超増えてしまった僕には、そんなゲームをやっている隙がない。映画のDVDですら細切れに3回くらいに分けて観ないといけないくらいなのだ。小説とか怖くて手を出せない。うっかり徹夜になったりしたら、その後2日ほど、僕だけではなく仕事仲間や家族にまで迷惑をかけてしまう。

贅沢だけど、この辺りを両方兼ね備えたゲームが出てきてくれないかな、と思う。今後の生き方すら左右しかねないほど深いビジョンが込められているのに、1ゲームは2分から、最大でも10分くらいで終わるようなゲーム。そんなことをつらつらと書いていたら、そうだ、僕は昔から、ゲームのディレクターになりたかったんだ、ということを思い出した。もうずっと長いことサービスのディレクションをしているが、それは僕にとっては恐らく、かつてのパソコンゲームを作るときのような、「作品」を作るような、そんな感覚なのだろう。だからデータ解析にイマイチ集中できないんだ(言い訳)。いややりますが。

 

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