今日は上の子の卒園式だったのだけど、昨日の「最後にみんなで一緒に幼稚園に登園する日」の方が感慨深くて、今日は「ふー、インフルエンザにもならず、無事に式が終わってホッとした!」という気分のほうが大きい。
昨日の、家族みんなで、幼稚園までの道をいつも通りにトボトボ歩く登園のこと(ウチは2人目も今年から幼稚園だったので、登園が一家総出だった)はずっと忘れないだろうけど、今日の式はちと自信ない。雨降ってたから車で行っちゃったし。
子どもの方もそうで、今日は緊張したし疲れた、明日のドラえもんの映画が楽しみ、という感じで、感慨深さはないように見える。幼稚園児なんだから当たり前か。
なんだかあっさり終わってしまい、拍子抜けしているのだけど、まあ昨日が自分的にはクライマックスだったからいっか、と、自分で自分を慰めている。
でも。
それでも、「卒園おめでとう」という言葉、この言葉をつぶやくと、やはり胸の中にギュッとした熱いものがこみ上げてくる。
言霊の力は強い。幼稚園に入ってから今までのことが、一気に思い出される。赤ちゃんに毛が生えた程度だった子が、立派な子どもになった。やはりこの3年間はとてつもなく激しい成長の時期で、その節目として、卒園という儀式というか、「卒園した」という言葉は重要だ。それをフックにしていろいろと思い出される。今まではなんの意味も持たなかったこの単語が、今後は、口にするだけで僕の脳のどこかを確実に刺激する呪文になった。
ほんとうに、卒園おめでとう。ほんとうに。ほんとうに、おめでとう。
何度言っても言い足りない。