僕は何を観てしまったのでしょう……
何の予備知識もない状態で鑑賞したので、目の前で何が起こっていることが、最後まで信じられませんでした。
8月11日公開の映画『ジャングル・ブック』の試写でのできごとです。
公開情報なので言ってしまいますが、ジャングル・ブックでは、主人公の男の子「モーグリ」以外は、全てCGです。
出てくる動物も、ジャングルの植物や水や大地も、全部CG。
でも、とうてい信じられないんですよね。1時間半強、ずっと目を凝らしていても、どう考えても本物。
むしろモーグリの方がCGっぽかった。実際、最初の3分くらいは、モーグリをCGとして観ていました。
1匹2匹なら、本物ソックリの生き物が出てきても、まあ今の映画なら普通です。
恐竜や宇宙人や別の惑星など、実際と比較できないものであれば、CGかどうかなんて、ほとんど気になりません。
でも、『ジャングル・ブック』は、大量の動物・植物の全てがCG。
たった一人、生身の人間として参加する少年が、実物としか思えないCGの中を、縦横無尽に駆け回る。
『ジャングル・ブック』はそんな映画です。
異常な映画でした。
まず僕は、サイバーパンク小説の金字塔『ニューロマンサー』3部作の3巻『モナリザ・オーヴァードライヴ(なんで3部作のこの3巻目だけAmazonにないんだ?)』の最後を思い出しました。
現実ソックリに作り上げたバーチャル環境にずっとアクセスしたままの主人公。本人は楽園に住んでいるのに、実際はヘッドセットディスプレイに頭を覆われ、栄養も排泄もチューブで行っている、ユートピア兼ディストピア。
(これは、映画『マトリックス』のテーマでもありましたね)
次に、糸井重里の『MOTHER3』のとある台詞を思い出しました。
キャラは忘れたのですが、誰かがこんなことを言うのです。
「人間は、楽をするために文明を発達させ続け、そして発達しきって肉体を持て余すようになったら、ジムで運動して汗をかくのか。じゃあ最初から汗水たらす労働をとっておけばよかったのに」
(これは、有名なジョークを思い出しますね。「資本家が魚を摂るインディアンに、もっとたくさん魚をとって売り、金を儲ける方法を示唆する。『そしてどうなるんだね?』とインディアンは聞く。『ゆったりとビーチで寝そべって過ごすことができるのさ』と資本家。『それだったら我々はすでにそれをしているよ』とインディアン」)
そして、今の(業界内だけかもしれませんが)VRブームを想いました。
ジャングル・ブックは劇場で観た映画ですが、デジタルが圧倒的なリアリティを持つという意味で、VRに浸りきった未来を疑似体験したかのような印象が残ります。
動物たちの毛皮のゴワゴワさや滑らかさ、肌を切ってしまいそうな草、冷たくて湿度たっぷりな空気。
ここまで再現されちゃったら、これはもう「体験」してるのと同じなのではないか?
ストーリーはディズニーの王道で、よく練られているし、ポジティブで力強いメッセージ性があるし、子どもが観ても安心です。
だからこそ、ストーリー以外の部分の(まあ、良い意味での)異常性が、とても際立っているように感じました。
CGが本物で、本物がCGに見えちゃったなんて……
現実がゲシュタルト崩壊してしまったかのようです。なんだかすごいもの観ちゃったな。人類はいったいどこに行こうとしているんだろう?