遅ればせながら、ようやく村田沙耶香さんの『コンビニ人間』読みました。
のっけから引き込まれ、子どもたちに邪魔されながら一気に読み通しました。芥川賞なのに面白い!と絶賛だかdisだかわからない感想をよく見かけますが、確かにとてもおかしくて笑えます。一方で、主人公の「理解不能さ」が、異星人とのコンタクトものや人工知能もののSF小説のようで、その種の話が大好きな自分は狂喜乱舞しました。コンビニが舞台なのに話が深すぎる。
達人や天才すぎて常人と違う領域にいると呼ばれるような人には、この本の主人公のような人がちょいちょい混じっている気がします。
この主人公も、対象がコンビニだというだけで、同じです。だって彼女のコンビニ内での、ちょっとしたことから次を予測する能力や、クリエイティビティ、行動心理学を熟知しているかのような思考回路は、あれもう達人のそれですよね?
コンビニ側にも「わたしは生活者としては問題があるかもしれませんが、コンビニという領域においてはとても『使える』人間です」ということをアピールすれば、困っているコンビニのお助け人として、各地で高額で雇ってもらえるのではないでしょうか?
『コンビニ人間2 - コンビニ再生請負人、恵子 -』、どうでしょう? どうしても売上が上がらないコンビニを次々と助けていく変人かつ天才。ドラマ化もできそうです。急に話が俗っぽくなりますが。
しかし、この面白おかしい話の根底に流れる「どうしたら他人に受け入れられるかわからない」「理由はわからないけど、自分はどうやら周囲から排除されたらしい」という種類の恐怖は、誰でも大なり小なり感じたことがあるのではないでしょうか? たぶん。恐らく。いや、感じたことない人もいそうだな……昔からの仲間とずっと一緒にガッツリいる人たちとか……
「孤独」のようなメジャーなテーマが、この小説のような形で表現された点が、僕が『コンビニ人間』で一番印象に残ったところです。どれだけ歩み寄ろうとしても住んでいる次元が違いすぎてすれ違うことしかできない。ゾッとしますね。面白いですが。
決定的に欠落している人間が圧倒的な何かを発揮するようなドラマチックな話が中二的だとすると、『コンビニ人間』は、決定的に欠落している人間がとてもユニークなやり方で物語を積み上げていく、大人な作品だと思いました。
あと、現実の社会では、ときどき、うまく社会や友だちになじめない人を見て、したり顔で「あー、あの人、人間一回目なんだねえ」とか言う人が最近いますが、(輪廻転生の真偽や幼児教育の正誤はさておき)僕は逆に徹底的に人間を極めた人が、敢えて飛車角抜きみたいなハードモードで人生に挑んでいるのだと思いますよ。