『シン・ゴジラ』3回目の観賞に行きました。
まず何がすごいって、3回も観てるのに2時間全然飽きないのがすごい。無駄なシーンがひとつもなくて、とてもテンポがいいからなのでしょうか? 同じ映像を繰り返し観て飽きないって、珍しすぎる。今までの僕の人生では、4つしかありません。
・マルホランド・ドライブ
・夜のとばりの物語
・幻魔大戦
・時計じかけのオレンジ
いや、でも、シン・ゴジラは別格ですね。毎回期待を上回る面白さというか満足度というか。「ま、3回目だし、観ても観なくてもいいんだけど」と思ってた僕が浅はかでした。4回目行くと思います。期待を裏切らないから。
ただ、さすがに3回目ともなると話の流れは概ね把握してるわけですから、この高速展開な映画を観てても頭をフル回転させてついていく必要はなく、じっくりと細部を堪能できました。
そこで、今回僕が一番印象に残ったのは、総理から「国連が東京に熱核攻撃を加えることを決定した」と聞かされたときの、竹野内豊演じる赤坂の表情です。
赤坂といえば、現実路線の代表です。東京への核爆弾投下についても、反対する人々を説得する側の人間です。
そしてその話には、反論できない力強さがあります。「今、東京に熱核攻撃が行われれば、国際社会から同情と支援が集まる。株価も国際も暴落してデフォルト危機寸前にある今、東京と日本の復興のためにはそれが最も重要だ」というロジック。庵野監督自身、自分はどちらかというと赤坂派だと言ってるくらい、ドライに最適解を選択していく、現実派です。
しかし、それは、赤坂が無理にやっている演技なのです。
最初、総理から国連決定の話をほのめかされ、「総理に全権委任する特別立法を急いでくれ」と頼まれたとき、赤坂は、目が、次に全身が小刻みに震えます。そして蚊の鳴くような震えた声で、「東京での核兵器の使用も含めて、ですか」と確認します。
微妙で繊細な演技だし、抑制が聞いていて直接的じゃない言葉のやりとりです。しかし(恥ずかしながら3回目でわかりましたが)、竹野内豊は、この、ちょっとした目や口元で、赤坂の中の個人的な狼狽と怒り、地政学的観点からの考察、「政治家なのだから。個人の感情は脇において、日本のために何が最適かを考えろ!」と自分を叱咤する姿勢、全てを表現していたように思いました。
彼はこの短い会談で自分の心に整理をつけたから、その後、他の人々を力強く説得できたのです。あのような決定を周囲に納得させるためには「俺だって嫌なんだよ! でも国連が言うんだからしょうがないだろう!?」じゃダメなのです。自分自身確信をもって「これがベストなんだ」と言い続けなければいけないのです。
そして、このことを踏まえると、後の「総理、そろそろお好きにされてはいかがでしょうか?」という赤坂のセリフが、より意味を持ってくるように思いました。
赤坂も、できることなら核攻撃を阻止したいので、自分の立場的に許される範囲で、そっと布石を打ったのでしょう。もしかしたらこの件で、総理と事前に腹を割って話し合ったことがあったのかもしれません。
日本にもう一度核爆弾を落とすことを、他ならぬ日本自身が承認するなんて、赤坂(=「自分も赤坂派だ」と言った庵野監督)もやはり嫌だったんだなあということが確認できた、意義ある3回目観賞でした。
3回目のシン・ゴジラの感想は、まあもちろん火炎放射も最高だったのですが、「竹野内豊の演技力が半端なかった」です。