村上春樹が長編小説の新作『騎士団長殺し』を出す、というので、「そういえばアレをまだ読んでないな」と思い出し、短編集『女のいない男たち』を一気読みしました。
基本的に他人の恋愛に興味がないので、本の題名を聞いた時点で読む気をなくしていたのですが、読んでよかった。面白かった。
特に最後の2篇の『木野』と『女のいない男たち』が、想像を遥かに超えて面白かったです。
『木野』は、まるで村上春樹の長編小説のような、深みの底が見えない、謎の説得力を持った作品でした。
主人公は村上春樹としては珍しい、気分の揺れが大きい、ごくノーマルなおっさん。物語は、最初は普通のおっさんの人生を書いていたはずなのに、途中の「猫が去り、蛇がやってきた」辺りから、すごいことになってきます。この文章からしてインパクト大じゃありません? デビッド・リンチが映像化しそうな世界です。日常の隙間に突如として超常が割り込んでくる。マジック・リアリズムがストッパーを外してアクセル全開で踏み込んでくる。
怖い。別に怖いこと書いてないのに、怖い。僕らの世界は、気を許すと簡単に潰されるような圧倒的で理不尽な力に覆われているので、細心のの注意を払って生きていかなくてはいけない、という、クトゥルフ神話的世界観も感じるし、「え? それって銀河連邦で裁判にかけられるくらい違法な大変なことだったの!? 知らなかったよ! 事前に教えてくれていたらやらなかったのに!」という、銀河ヒッチハイクガイド的なブラックユーモアも感じます。
要約すると、「大傑作といっていい」と思います。
で、その次に来る『女のいない男たち』。
これが、『木野』と真逆で、ペラッペラで内容の薄い、でもひたすらにお洒落な掌編でして。
感じの良い言葉が次から次へと、まるで華やかなダンスパーティのように舞う。僕の個人的な感覚では、氏の初期の作品に近いです(もちろん技術は比較にならないくらいレベルアップしていますが)。
僕はこれ、村上春樹さんが手癖だけで書いたんじゃないかな、と思っています。別の言い方をすると、内容をできるだけ削って、文体だけでどこまで読ませられるか、という実験なのかも。嫌いじゃありません。僕は文章の何が好きって文体が好きなので。だからたとえば町田康やアンソニー・ボーディンであれば何を書いてもいいよ、ということにもなるわけでして。
67歳(でしたっけ?)にして、この、娘っ子たちにモテまくりそうな、全盛期のオザケンのようなポップさ。単体で読むとつまらないですが、『木野』の次に間を開けずに読むと、そのマリアージュにうっとりします。重いメインディッシュのあとの爽やかなデザートみたいなものです。
その他、最初の『ドライブ・マイ・カー』も、知人が今まさに似たような状況になりそうになっているので、驚きを持って読めました。お値段以上の満足感があった『女のいない男たち』、みなさまも『騎士団長殺し』が出るまでの間、気を静めるために読んでみてはいかがでしょうか?