もったいないので、時間の余裕がたっぷりあるときに、ちょびっとずつ読んだ。まるでダイエット中のポテトチップスのように。
そのせいで、だいぶ時間がかかったが、先日とうとう村上春樹『騎士団長殺し』を読了した。あーあ、読み終えちゃった。
感想は、複雑だ。
村上春樹の入門書?
『騎士団長殺し』は、はじめて村上春樹を読む人に、ちょうどいいかもしれない。
文章は、品が良く、シンプルで、読みやすい。混乱ゼロでスラスラ頭に入ってくるだろう。まるで名手が弾くピアノ独奏曲のように。
ストーリーも、テンポよく、緩急も意外性もジャストタイミングで配置されていて、飽きない。まるで林の中の完璧なジョギングコースのように。
超自然的なところも、懇切丁寧に説明されるし、説明されないところは「ここは理屈抜きで受け入れるとこね」とわざわざ教えてくれる。まるで子どもをあやすように。
恐ろしくわかりやすい。謎解きの考察を巡らせる余地がほとんどない。明かされていない謎は、気にならないほど小さく丸め込まれている。まるでジーンズについた小さな埃のように。
過去作品に出てきたのと同じモチーフがオールスター集合みたいに出てくるが、それは同じ役者が違う芝居に出ているようなもので、特段意味はないと思う。
本当に入門書? 怪しい
しかし、だからこそ怪しい。
あの村上春樹が自分の小説をわかりやすく書く必要ある? 今さら読者層の拡大? 既にこれだけ受け入れられているのに?
だから、今回も、いつものアレなんじゃないかと勘ぐってしまう。
この小説全体が、何か全く別のものの比喩、というパターン。
あるいは、重要な設定を敢えて書かないことで、わざと物語の一面を見えづらくしているパターン。
彼の長編小説は、だいたいそういう風に「も」読める仕掛けがされている。暗喩だけで書かれた別の物語が隠れている。常に二重以上の構造を持っている。まるで開かずの扉の向こうにある部屋のように。
村上春樹は、「小説とは『それは、例えていうならこういうこと』を積み重ねること」と言っている(出典忘れ。そうだ村上さんに聞こうとか、そんなタイトルの本だった記憶)。
だから、『騎士団長殺し』も、何かのたとえ話なのかもしれない。そしてそのたとえ話は、さらに何かのたとえ話なのかもしれない。まるでドトールのミルフィーユのように、何層も物語が隠れているのかもしれない。
その象徴として、作中に「騎士団長殺し」を出したのかもしれない(あれには二重のメタファーが被せられていた。 あれ? 「二重メタファー」って、他のところにも出てきたヤツだ……)。
隠されているものは何?
けれど、今回は確証が持てない。
今までの村上春樹作品には、わけのわからない「怖さ」があった。この小説には秘密の暗号でも隠されているんじゃないかという、謎めいていて不穏な予感があった。まるでだまし絵のように。
その怖さは、「暗喩だけで書かれた別の物語」が僕の意識を通り抜けて、無意識層に届いていたからだと思う。
今回は、それを感じなかった。
だから、物語としては完結していてスッキリするのだけど、なんだか物足りない気もした。
もしかしたら、本当に、書かれている通りのお話なのかもしれない。
あるいは、暗喩だけで書かれた別の物語が、小説全体に薄く広がっていて、今まで以上に気づきにくいのかもしれない。
そういえば……ひとつ、不自然に感じる点がある。
登場人物が、ことごとく、礼儀正しすぎるのだ。
みんな丁寧
登場人物は、みんな趣味の良い服を来て、自立して、規則正しい生活を送っている。言葉遣いも丁寧。誰も雑じゃない。
今までもその傾向はあったが、今回は「そういう人ばかり」だ。邪悪の塊のようなものも登場するが、そこにも邪悪なりの気品が漂っている。まるで魔王に威厳を感じるように。
理由としては、ひとつは、そういう人々や環境が好きなことを隠すのが面倒になったのだとは思う。
村上春樹の小説には、間違っても「クソが!」「カスが!」「ファミチキ最高!」「俺はヒップホップに就職した!」「シュークリームをひと口で飲み込んでみました!」「なに松が推し?」みたいな会話は出てこない。恐らく彼には、ヤンキーやパリピやユーチューバーや腐女子や僕のような人種は、ほとんどイメージすらできないのだろう。まるで火星人の生活のように。
ライフが1個しかないスーパーマリオ
それにしても、みんな過剰なまでに、他人への気づかいや配慮を忘れない言動を心がけているのは、気になった。みんな親切で丁寧で、どこまでも静かで礼儀正しいのだ。
もしかしたら、ここが『騎士団長殺し』の「謎」を解くキーワードかもしれない。
この物語には、誰かがちょっとでもミスったら、たちまち混乱を極めた悲惨な末路を辿るような危うさがある。それを、登場人物が、互いに相手を気づかい丁寧に接することで、かろうじて無事に綱渡りしている。まるで薄氷を踏むように。
うん。「言動をミスるなよ。一度でも間違えたらアウト。やり直しも効かない」という怖さは、確かに最初から最後まであった。まるでライフが1個しかないスーパーマリオのように。
この部分に注意しながら読み直してみたら、何か醜悪な事実(と、そうだったら話が根幹から変わっちゃうんじゃん! という驚き)が浮かび上がるかもしれない。適当なことを言うけど、たとえば免色と秋川笙子が兄妹だとか。主人公は夢遊病だとか、正しいゴールにたどり着くまで何度も同じ人生をやり直しているとか。
そういえば前作『女のいない男たち』の『木野』(当ブログでのレビュー)は、何回か間違えちゃっただけで破滅的な状況に陥る男の話だったな……考え出すとキリがないので、考察班の活動を楽しみにしたいと思います。
比喩が美しく楽しい
ま、謎はマニアの趣味かな。物語を素直に読むだけでも充分深くて面白い。
それより、今回は、いつにも増して比喩が多用されているのが印象的だった。文章に上手くなじませるだけではなく、「まるで……のように」という表現が、あちこちに強引にねじ込まれている。
また、その比喩が上手い。美しく楽しい。
まるで比喩の一文だけで一つの世界観がバーンと現れ出てくるようだ。
今回は、一切のブレーキを外して、思う存分好きなだけ自らの比喩パワーを振るっているように見える。「オレは比喩が好きだーっ!」という島本和彦ばりの魂の叫びがビンビンに伝わってくるようで、好感が持てる。まるで飛ぶ力を得た子どものように。
茶化しているわけではないですが、この記事でも、騎士団長殺し的比喩を無理やりぶち込みまくってみました。比喩って難しいですね。
村上春樹自身を見る
あと、『騎士団長殺し』では、わりとあからさまに、村上春樹その人自身が表現されているように感じた。
彼自身の特徴。
人生観。
政治的なスタンス。
それと、別の世界線の自分。「そうであったかもしれない」自分。
特に最後の章では、「そうか……やはり村上春樹さんも、そのことが頭によぎることがあるのね……」と、しんみりしてしまった。彼だって、やり直しのきかない選択肢を選び続けてきたのだ。
今までも、ある種の「厄払い」として小説を書くことがあったそうだが、今回は、厄払いじゃなくて「願望」なんじゃないかと思いました。
書いて、昇華した。まるで暖炉の火で自分を暖めるように。
今回の名言
今回いちばん心に残った部分は、小説の物語部分とは(直接的には関係ない)以下のセリフでした。
「あなたは望んでも手に入らないものを望むだけの力があります。でも私はこの人生において、望めば手に入るものしか望むことしかできなかった」
『騎士団長殺し』をより楽しむコツ
音楽が出てきたら、YouTubeなどで検索して、その曲を聴きながら読んでみてください。雰囲気がよりクッキリとわかるようになります。
最後に
個人的には、村上春樹は「感覚を書く作家」だと思っています。
感情より感覚。
たとえば喪失の感覚とか、ピンチの感覚とか、溜まっていく感覚とか、受け入れる感覚とか。そういう感覚を書くのが抜群に上手い。どんなありえない状況を書いても、その状況下でのキャラクターの感覚は、読者の共感力に頼らず、ほぼ強引に、ありありと感じさせることができる。
今回も、それを充分堪能しました。こんな作家は他にいない。面白かったです。
あと、やはり重層的な構造になっているとは思います。これを書きながら、もう一度読んでみたくなりました。
あと、今月末発売の、川上未映子による村上春樹へのインタビュー本『みみずくは黄昏に飛びたつ』で、本作の真相についてややネタバレがあるみたいなので、それも楽しみです。