言葉の力が強い人々がいる。
その人の人生経験とは関係がない。
その人の成功失敗とも関係がない。
その人の教育環境とも関係がない。
その人の家族友人とも関係がない。
その人の読書の量とも関係がない。
その内容の善し悪しも関係がない。
才能、としか言いようがない。
何一つ苦労せず、何のチャレンジもしてこなかった凡庸な人生なのに、一言一言がいつまでも心に残るような強さを持っている人がいる。
逆に、波乱万丈で、誰もが驚愕せざるを得ない人生なのに、言っていることが心に刺さらなくて、ほとんど頭に残らないような人もいる。
多くの人が経験していることなのに、その人の言葉で語られると俄然聞き応えがある、読み応えがある話になってしまうような人もいる。
博覧強記で、映画や本や漫画や音楽から、ちょっとしたネットの情報にまで、恐ろしく詳しいのに、自身の言葉は空気のような人もいる。
何が違うんだろう?
一時期は「語彙力かな」と思っていたのだけど、ボキャブラリーが少ないのに極端に言葉の力が強い人もいる。
今の僕の最新の仮説は、「自分の心情や自分の見聞きしたことに深く関心を持つ人の言葉が強いのかな」というものだ。
自分自身に強くコミットしているというか。
自分の内面や、自分のセンサーに多くの集中を向けているというか。
自分の内面や自分のセンサーへの注目が強い人は、どんどん、内面やセンサーに対する解像度が上がっていく。
心の細かい襞が見えるようになり、見たり聞いたり味わったり触れたりしたことから得る情報量も飛躍的に増える。
だから、アウトプットするときも、気軽に書いてるときでも、気軽に話しているときでも、他の人とはそもそもの基礎出力が大幅に違う。
これも確信を持っているわけではないのですけどね。
この疑問は、僕が折に触れて考える、お気に入りの暇つぶしネタです。
今のところ、言っていることの中身関係なく「言葉の力が強いなあ」と思う人は……たとえば、
ニーチェ
アンソニー・ボーディン
村上龍
フミコフミオ
整数
peco
梟小僧
山本一郎
林雄司
ARuFa
太宰治
マイク・ロイコ
などなど。他にもたくさんいますが(特にお笑い芸人に多い)、書き出すときりがないのでこのへんで。