エヴァンゲリオンの大きな楽しみ方のひとつ、「考察」「展開の予想」が、最終章が公開される今、とうとう、終わってしまいます。
もちろん、外伝的な作品が制作され、細かい謎が明らかになることも考えられますが、このシン・エヴァンゲリオンという作品において、描きたいこと、言いたいことのコアの部分は、本編で語り尽くされるのでしょう。僕個人も、メインのシナリオが終わると興味を失ってしまうタイプですので、観る前の今が、エヴァの考察を楽しめる最後のチャンスです。
とはいえ、エヴァは、あちこちの断片をかき集めれば集めるほど、謎も考察の内容もバカみたいに増えていってしまう作品です。ひとつひとつ精査していたら何万字というレベルになってしまいます。
残念ながら自分は、そこまで暇じゃない。
なので、THE GUILD深津さんが提案していた、最終章を観たあと、どれだけ自分が間違っていたか、浅はかだったか、良い意味で期待を裏切られたかを確認するため、書いて楽しめる範囲分だけ、考察と展開予想をメモっておこうと思います。
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いやー、それにしても「Q」には驚かされました。
まるで意味不明だったし、マリのQでの発言の通り「しっちゃかめっちゃか」でしたから。
「序」と「破」で、いい感じにストーリーが成立してきていたのに、「Q」でちゃぶ台をひっくり返したような騒ぎになったのは、「Q」がまさに「Q」、つまりクエスチョン=謎を散りばめた章だったからなんじゃないかと思います(大いに希望的観測を含む)。
だから、最終章では、「Q」で提示された分については、答えが全て出てくれるんじゃないかと期待しています。2時間半も時間をとってくれてもいることですし。
エヴァには気になる点が無数にありますが、今回の最終章を迎えるにあたって、特に気になっているのは、以下の点です。
●物語構造
カヲルはシンジに対して、「破」の最後に「今度こそ君を救う」と、「Q」の最後で「また会えるよ」と言っている。
考えられるのはループかパラレルワールドの線。正解ルートを見つけるまで繰り返されるパターン。最終章のタイトルにも楽譜のリピートマークがついているので、よりこの可能性を補強する。
ループにしろパラレルワールドにしろ、始点と終点がどこかと、トゥルーエンドがどれかを、ゼーレ、ゲンドウ、WILLE(ミサト率いるチーム)、カヲル(=生命の実を食べた使徒)が争っているのではないか? 繰り返されるシーンの中で、それぞれの登場人物が間接的にシンジに影響を与える。しかし実際の行動を選ぶのはシンジ自身。
シンジが正解を選び取ったとき、ハッピーなトゥルーエンドが訪れるのではないか?
●庵野監督の意志
確か監督は、シン・エヴァンゲリオンのプロジェクトをスタートさせるときに、「エンタテイメント作品を目指す」と言っていた。わけのわからないまま終わらせるはずがない。
一方、テレビ版はテレビ版で、描きたいことは描ききったのではないか? 作画を線画だけで諦めたとしても、内容は妥協しなかったのではないか?
だからシン・エヴァンゲリオンの最終章は、シンジが「僕は僕のままでいいんだ」と自己肯定するさまを、テレビ版のような抽象的な表現ではなく、エンタテイメントな物語として描き出すのではないか?
●英雄の物語
シン・エヴァンゲリオンは、一般的な冒険譚の構造も有している。
1. 主人公は、最初はひとり(序)
2. 主人公に仲間ができ、絆が生まれる(破)
3. 仲間が敵/味方に分かれて争う(Q)
この構造から考えられる次のパターンは、螺旋を描いて主人公が成長するパターン。例えば以下のようなものが考えられる。
・主人公が強くなり、分かれたものを再びまとめる
・主人公が強くなり、ひとりで生きていける力を身につける
●マリの存在
マリは今のところ、なんの重要な役割も果たしていない。このままだと単なる賑やかしキャラで終わってしまう。
マリの存在は本当にその程度のものなのか? 現時点でほぼ確定なのは、マリはゲンドウと同世代であること。その時点から歳をとっていない(もしくは若返っている)こと。
マリとは何なのか? マリとは、「正解を知るもの」なのではないか? ループまたはパラレル世界の中の正解ルートを知っていて、人類またはシンジが正解ルートを選ぶのを根気よく最後まで見届ける者。または正解ルートが選ばれやすくするように過去(おそらくユイ)から送り込まれた者。
こう考えると、どんな状況下でも余裕がありそうなマリの言動にも説明がつく。
●アスカとシンジ
古からのアスカファンとしては、Qでマリがシンジに言っていた「お姫様くらい助けなさいよ!」という言葉が引っかかる。
エヴァンゲリオンは、シンジの物語じゃなくて、シンジとアスカの物語の可能性も捨てきれない。実際、「Air/まごころを、君に」は、エヴァンゲリオンを2人の物語として描こうと試みた作品なのだと考えている。
ループ/パラレルワールドの中で、シンジの正解ルートとは、綾波=母親への執着から脱却し、アスカを受け入れ、アスカに受け入れられることなのではないか? 「Air/まごころを、君に」では最後の最後に拒絶されるバッドエンドだったわけだけど、シン・エヴァンゲリオンでトゥルーエンドに到達できるのではないか?
●謎の回収
衒学的に散りばめてしまった謎部分の改修も、テレビ版からのファンとしては期待したいところ。
今のところ、「人類補完計画」は、人類を次の段階に進化させようとする企みということになっている(はず)。
では、「ゼーレのシナリオ」とはどの部分を指すのか? 「裏死海文書」に描かれたことは何か? ゼーレを出し抜こうとしている「ゲンドウのシナリオ」とは何か? さらに言うと、結局使徒とは何で、リリスを目指して何をしようとしていたのか? ファーストインパクトのあやふやな部分は具体的にどうなのか?
推察は多数ネットに出ている、最終章で、ここがハッキリと明らかになると激アツ。そもそもゲンドウは「言動」であり、その発言と行動には意味があるはず。(ついでに言うと、シンジは「信じる(力)」、アスカは「明日(の象徴)」、レイは「霊(実態のないもの)」という整理も可能かも)
まぁ、明らかにならなかったとしても、古くからのファンとしては潔く受け止めますが……
●エヴァはセカイ系?
エヴァはセカイ系(世界の危機などと個人の心情とが直接結びついてしまっている作品)の元祖とも言われている。
しかし、庵野監督が本当にそういう作品を作るだろうか? あれだけガチなオタクは、設定の作り込みの重要性を痛いほど分かっているのではないだろうか?
実際「シン・ゴジラ」では、さまざまに利害の対立する団体間での調整が、これでもかというほどねちっこく描かれた。本当は、ダンジョン飯並に、設定しっかりと構成されているのではないだろうか(大いに希望的観測含む)(ダンジョン飯を高く高く評価している)。
●エヴァの価値
最後に。個人的には、エヴァは「アニメーションが『格好いい』とはどういうことか?」を、考えられうる最高のランクで示した作品だと思っています。
つまり内容以上に、演出がすごい作品。エヴァのおかげで、日本のアニメーションは一気に数世代分の独自進化をとげ、世界に類例を見ないスタイルを作り上げたのではないかと。
今回、最終章に向けて「序破Q」を見直した際も、ストーリーの進行には?を感じる部分があれど、映像の格好良さは今でも抜群だと思いました。MVとして無音で流してても成立するんじゃないかってくらい。
だから、最終章の内容がどうあっても、僕は失望はしないでしょう。格好いい映像がこれでもかというほど流れる点は100%信頼しているし、そこは間違いないと思うので。
さぁ、最後のサービスを楽しんでこようと思います!!!