「お風呂入るよ!」と言ったら、子どもたちが、自分たちだけで入ると言った。
言い方やニュアンスに何かが混じっていたのだろうか。僕はピンと来た。
これは、「今日は自分たちだけで入る」という意味ではなく、もうパパとお風呂には入らない、ということなのだと。
先週末が、子どもとお風呂に入る最後になってしまった。
先週はどうだったのだっけ……そうだ、温泉の素を入れてみたんだったよ。鉄の匂いがして、赤茶色になった風呂に、3人でつかってみたんだったよ。
あれが最後だったとはなあ。想像だにしてなかったよ。
子どもと入る最後のお風呂の時というのはいつかは来るわけだけど、できれば最後の日は意識したかった。「ああ、今日が最後なのだなあ」というのを、しみじみと味わいたかった。
それは叶わなかった。残念だ。
お風呂に限らないけど、その日というのは、突然にやってくる。だから瞬間瞬間を十全に味わい尽くして生きるよう心がけているけれど、時というのは、必ずこちらの心構えと心構えの間の隙をついてくる。
なんだか悲しい。これからも、気がついたら大切なことが既に失われた後だった、という場面は増えていくのだろう。
僕は少しずつ受容し手放していく。
後から振り返ると、今日は何かの記念日だったのだとわかるのだろうと思う。