そして今、最終巻を読み終わりました。
最終2巻(33巻と34巻)は、今回はじめて読みます。この2週間、じっくりと進撃の巨人を楽しませていただきました。
一気読みしなかったのは、たぶん「読み終わる」のがもったいなかったからなんじゃないかと思います。
終わりを先送りにしていた。
でも、そのおかげで、進撃の巨人の大きな特徴である「伏線回収」に、たくさん気づくことができました。
本当に大小さまざまな伏線を、5巻10巻15巻と遠くの方で、キレイに回収したりしているんですね。
こういうのって、計算だけではできない。「遠く離れた別々の事象を結びつける」ことが異常に得意な人ってときどきいますが、諫山さんはこのタイプなのではないかと思います。
個人的にはマルコの「俺達はまだ話し合ってない」が重要な伏線だったのが、一番すごいと思いました。もしかしたら読み返すたびに、何気ないキャラの何気ない一言が実は伏線でした、というのを発見できるかもしれない。そのくらいの量が埋もれている可能性を感じました。
「なんで泣いているの?」の伏線回収もすごかったですが、これは最初から予定していた展開かもしれません。
話の流れ全体を希望の物語と見るか絶望の物語と見るかは、人によってパッキリと2つに分かれる部分だなと思いました。
僕は、うーん、上手くいえないけれど、ギリギリの線でハッピーエンドといっていいんじゃないかと。
基本トーンは「この世界は残酷だ」。この点は言い訳なしにそうです。最後も「そしてみんなはいつまでも幸せに過ごしましたとさ」ではない。世界は根本的に救われたわけではない。
そもそも、主人公エレンの徹底した悪役ぶりには、どこをどう切り取っても同情できる余地がない。
ただ、「巨人の驚異」に関してだけは、キッチリと落とし前をつけていた。それに、それぞれのキャラの物語と顛末を丁寧に描いているので、世界の救いのなさが前面に出てこない。個々の人生の、個々の瞬間には、かけがいのない大切で美しいことがある。
なので、両天秤にかけて、読後感としては絶望的な気持ちにはならない物語になっている。それでオーケーかなと思いました。
そもそも、本来は「巨人の脅威がなくなっても世界が平和になるわけではない」ということを丁寧に書き出す必要はないわけです。そこをあえて描いているのは、作者の誠実さだとも感じます。
絵柄も、最初は「下手」とか言われていたけど、読み返してみると、細かいところまで丁寧に考えて描かれている。
だから進撃の巨人の世界は、よくあるファンタジーみたいには全く見えない。独自の世界観が絵的にも構築されている。
そういう絵を描けるのは、画才(というかイメージの才能)だと僕は思います。
最終巻について、僕は個人的には100点満点で80点くらい満足しました。実質100点で、大満足と言えます。
これだけたくさんの人が出てくる群像劇を、ここまでまとめ上げて、いろんな伏線も回収して、あといちばん大事なのは、グダグダにならず、ずっと緊張感が変わらず、盛り上がりっぱなしのテンションで最後まで駆け抜けたのは、最高です。
ただ、寄生獣先輩やAKIRA先輩やデビルマン先輩、個人的にはBLAM!先輩などの、完璧なラストを迎えた先輩たちのことも思い出してしまうので、ちょっとだけ減点して80点。
フリッツ王が槍で貫かれているシーンは、難解かもしれませんね。
ユミルはフリッツ王への愛ゆえに、2千年もの間「巨人を作る呪い」に取り憑かれていた。しかし愛しながらも相手を断つというミカサの行いを見て、ようやく自身の愛=呪いからも開放された。
だから、あのコマは、フリッツ王に別れをつげたことを象徴的に描いたひとコマではないかと。フリッツ王を貫く槍は、「実際には槍はユミルが受けたのだけど、もし子どもを守ることを優先して槍を受けなかったら」というifを描いたというよりかは、象徴的な意味で、「ユミルがフリッツ王に刺した槍」なのかなと思いました。
細かい?はいくつかあれど(なぜベルトルトを守るために巨人をエレンの家に向かわせなくてはいけなかったのか?とか)、読み直せばまたわかることもあるかもしれないし、今は
「いやー、読み切ったなー」
という達成感と、
「最終巻をこれだけじっくりねぶるように楽しんだのは、下手すると僕くらいなんじゃないか?」
という自己陶酔と、
「諫山さん、素晴らしく面白い物語をありがとうございました!」
という感謝の気持ちを優先させたいと思います。まだキャラクター名鑑FINALを読む仕事も残ってるしね!
最後に、諫山さんの次回作ですが、以前はヒップホップものが描きたいみたいなことも言っていましたが、個人の予想としては、「『進撃の巨人の作者』というプレッシャーを粉々に打ち砕くような」ものを描くんじゃないかなと思います。
たとえば……育児漫画とか。
そのくらい、いつも読者を裏切り続けて欲しいです。