いま皿を洗っていて、ふと思い至りました。
もしかしたら、単行本最後の「進撃のスクールカースト」で、エレンの伏線回収があったかもしれない、と。
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進撃の巨人で、エレンは、言い訳のしようがないくらい歴史的な大罪人となりました。
しかし本心では、「本当は仲間と一緒にいたい」と痛切に願っていたことが描かれています。
エレン:「…死にたくねぇ」「ミカサと…みんなと一緒にいたい…」
本編では、エレンのこの想いは、報われないまま終わります。
この点、ちょっと引っかかる人もいるのではないでしょうか? 僕もそうでした。
・エレンに何か救いはないのだろうか?
・あんな大虐殺しておいて、救いなんてあるわけないだろう
こういう気持ちを行ったり来たりする感じです。
しかし。
物語上ではエレンの救いはありませんでしたが、進撃の巨人という漫画全体では、もしかしたら、最後に想いが報われていたのではないでしょうか?
それが、最終2ページ、「進撃のスクールカースト」の、このセリフです。
エレン:「お前らと映画観れて楽しかったよ…」「もし…次回作があったら…また観に行こうな」
エレンは、仲間と一緒にいるという願いを、叶えることができたのです。
もちろん本編のエレンとスクールカーストのエレンは物語的には完全に別人です。
しかし両方ともエレンだし、エレンの顔をしている。まあ細い細い糸で、諫山さん作者自身の中では、シンクロさせてもいいくらいな感じだとして。
このセリフをもって、ある意味でエレンも報われました、と、読者側は思ってもいいのではないかと思いました。
そう思って読むと、このコマ、すごくエモいじゃないですか。
照れながらボソリと本心をつぶやき、言われた側も同じ想いを共有していることがわかる。
パロディにしては、あまりにも素敵なシーンだなと思うのです。
さらに妄想を進めると。
最後のセリフに、
アルミン:「あの三人の幼馴染も実在してたらいいのにね」
エレン:「うん…そうだな」
という微妙な溜めがあることにお気づきでしょうか?
深読み勢は、ここで、「もしかしたら『進撃のスクールカースト』のエレンは『進撃の巨人』のエレンの記憶を引き継いでいるのではないか?」と妄想することもできるのです。
本編最後は、(僕は違う見方をしていますが)巨人が復活するかもしれない雰囲気で幕を閉じます。
あのシーンと、スクールカーストが同時代、同時期のことを描いていたのだとしたら。
復活した巨人と巨人がいた時代の記憶を宿しているスクールカースト・エレンの物語が「次回作」として描かれる可能性も……ないと思いますが、想像することはできます。
うーん、進撃の巨人面白いなあ。
何度も何度もリフレインして読んでしまいます。