新聞をとる人が少なくなった、という話を聞いて、久しく経つ。
確かに、僕も新聞をとっていない。
新聞選びでつまづいてしまう。どの新聞も主張に偏りがある。そこが気になる。
複数の新聞を読んで比較する貴族みたいな時間はないし……
逆にいうと、僕には、明確に欲しい新聞がある。
こういう新聞ならとりたい。毎朝読みたい。
その新聞を、仮に「客観中立新聞」と呼ぶ。
その名の通り、客観的で中立的なことを目指している新聞だ。
とはいえ、「完全に偏らない」のが難しいのは、重々承知している。
だから、客観中立新聞では、全ての記事が、以下のどちらかの方式で書かれている。
1. ストレートニュース
2. コラムやレポートは弁証法で書く
特に2の「弁証法で書く」が特徴だ。
厳密な意味での哲学の弁証法とは少し違うかもしれないが、記事版の弁証法的記法では、このようなルールで書かれている。
1. 全体の枠組みと条件を提示する
2. 意見を書く
3. 反対意見を列挙する
4. 意見と反対意見をまとめて、可能であれば止揚した意見を述べる
これであれば、読む側は、いろんな視点や意見を知り、どちらかの意見に洗脳されることなく、自分の立場を自分で決めることができる。
「客観」は、マスメディアでは昔から重視されている。
既存マスメディアが客観性を重視してくれるという担保があるからこそ、主観バリバリの小規模メディアやインフルエンサーに需要ができたという構造もあると思う。
一方、「中立」は、客観に比べると軽視されている気がする。
しかし、激しく偏った意見ばかりのフィルターバブルの現代、改めて「中立」には価値が出ている。
そして、中立を述べるのが難しいのであれば、せめてさまざまな意見を列挙する。テーゼはこれで、アンチテーゼはこうで、ジンテーゼ1はこう、ジンテーゼ2はこうはどうだろう? みたいな書き方をする。
ジンテーゼは敢えて書かず、読者に委ねるのもアリ。
論点が整理されているだけの記事も価値がある。
読者に主張を述べるのではなく、読者が考える材料を提供する。
そういう新聞であれば、自分も読みたいし、子どもにも安心して読ませられるので、家で購読するんじゃないかな。
「複数のメディアを比較して読む」という手前を省いてくれる「客観中立新聞」。
コスパもタイパも良さそう! ま、できたらできたで、折に触れて「中立じゃないじゃん!」と叩かれる新聞になるだろうけど、やり続けていると「渋々ながら信頼できるニュースソース」として価値を持つ気がする。
どこかはじめてくれないかな。
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