ノーベル文学賞作家ヨン・フォッせの短編小説『朝と夕』は、静かで美しい作品でした。
言葉を使って、言葉で表せない世界をありありと描いています。
まずは文章のオリジナリティと良さに衝撃を受けます。
同じ言葉の繰り返し、短文で区切らない、主語がないか複数主語になっている、などなど、あらゆる意味で「読みやすさを無視している」のに、まるで音楽のように綺麗な流れができていて、スッと頭に入り、全く混乱しません。
読みやすいです。短いし、特に頭を使わず2時間くらいで読めちゃいます。
物語には、ドラマチックなドラマはありません。
日常系なのですが、その日常の中に、神聖さや美を見出しています。
この作品の主題は「なんでもない日常の中の美」を丁寧に丁寧にすくいあげること、と言っていいかもしれません。
また、高齢化が進む日本に住む人として読んでも、こう、胸に迫るものがあります。
老人になるというのは、こういう風に身体が思い通りにならず、思考がまとまらなくなるのか、とか。
独居老人の日常はこういう感じか、とか。
ただ、怖さや不安といった感情は想起させません。あくまでも優しく淡々と描かれています。
人の誕生と死が、これ以上ないほど無駄を削ぎ落とされ、ギュッと圧縮されています。
読み終わってふと目を上げると、そこに映る光景や聞こえる音、肌の感じは、もしかしたらこの上なく美しいものなのではないか、という可能性に思い至ります。ありがたやありがたや。
裏表紙の内容紹介には、こう書かれています。
もし興味を持たれたら、ぜひ手に取ってみてください。きっと想像以上に良い読書体験となるでしょう。
〈第一部 誕生〉ノルウェー、フィヨルドの辺の家。息子の誕生を待つオーライ。生まれた子はオーライの父親と同じヨハネスと名付けられ、やがて漁師となる。
〈第二部 死〉コーヒーを沸かしパンに山羊のチーズをのせる……老いたヨハネスの、すべてが同じでまったく異なる一日がはじまる……フィヨルドの風景に誕生の日と死の一日を描き出した、神秘的で神話的な幻想譚。夢を見るような味わいの傑作。