生成AI、僕も便利に愛用させてもらってます。
日々の調べものや、企画をまとめるときの壁打ち役、簿記やPythonの勉強のときの相談役、パワポの画像作成、記事を書いたときのタイトル提案(この記事のタイトルも手伝ってもらっています)(本文は自力で書いています。だって文章書くのが好きでブログ続けてるわけですから!)、旅行プラン提案、悩み相談(というか悩みごとを整理してもらう)などなど……
使ってるのはChatGPTとNotebookLMです。
「これがないと生きていけない!」というほどではないですが、確かに「新しいコンピューターの使い方が増えた」という実感があります。楽しいです。
でも、使えば使うほど、思うんですよね。
「こりゃ人間側にかなりの国語力が必要だわ」って。
現在のインターフェースでは、文章で指示を出す必要があります。
たとえば、教科書でわからないところを質問する場合。単に教科書の写真を添付して「これを解説して」というだけではイマイチ望んだ答えを得られません。「これは教科書の○○を解説したページです。この「○○」の部分、僕は○○が○○してしまうのでは?と考えてしまい、どうしても辻褄が合いません。詳細な解説をお願いします」みたいな、MECE(抜けなくダブりなく)ない質問の仕方だと、答えもナルホド感の高いものになっていきます。
また、返事も、現時点では基本的にテキストです。
時には、非常な長文になることがあります。Deep Researchで、それこそ「包括的に、かつ詳細に」依頼したりすると、結構な文章量になりますよね。
この返事ををしっかりと読み込んで、さらに細部について突っ込んだ質問をしていくと、分析や理解が深まっていきます。
要は、読んだり書いたりする「国語力」が重要です。
具体的にいうと、以下の2つですね。
・書いてあることを読み解く「読解力」
・言いたいことを言葉にする「言語化力」
基本的には本を読んだり議論したりすると、これらの力が身につくんだと思います。
そして、身につけば身につくほど、生成AIも快適に使えるような気がします。
思えば、僕が子どもの頃、未来は文字を使わなくなると思ってました。映像とか脳に直接データを送るとかで、イメージでコミュニケーションを取るんじゃないか、と。
しかし、インターネットがやってきたとき、そこは文字だらけの世界でした。
その後、写メなどが出てきてイメージが優勢になってきましたが、ブログやSNSが出てきて再び文字優勢になります。YouTubeやTikTokやインスタなどでイメージ・動画優勢になりますが、今、生成AIでまた文字がクローズアップされてきました。
生成AIは、今後、動画やゲーム画面的な形で、僕らとやりとりするようになるのでしょうか?
あるいはロボットになって、リアルの世界で寄り添うようになるのでしょうか?
そうかもしれませんが、その次は、また別の形で文字優勢の世界が来る気がします。これまでの流れを見る限り。
数学も英語も大事なんだけど、まずは子どもも大人も、まずはある程度まで国語力を磨くのが良いのかもですね。
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