先日、自分の人生的に、とても不思議なことがあったので、記しておきたい。
ある日の木曜日、高校の同級生から連絡があった。
30年ぶりくらいだ。びっくりした。
連絡の内容にもびっくりした。
なんと、それこそ高校卒業以来で、集まって飲み会をするという。
30年ぶりの同級会だ。
誘われてから2日後に開催だったが、スケジュールをやりくりして、万難を排して、参加した。
もちろん、「今さら何話すの? 話題ある? 気まずかったらどうしよう?」という心配はあったけど、それよりも、アイツやアイツが今どうなっているのか、という興味の方が勝った。
後述するが、僕は大学、いや、社会人くらいで大きく変わったので、今の自分ならみんなとも躊躇せず話せるだろうという自信もあった。
場所は新宿。飲み会の参加者は、10人くらいだった。
中には、神戸で仕事をして、そのまま新幹線を飛ばして参加した猛者もいた。
すごく楽しかった。
全員、高校時代の記憶を探りながら会話していた。話せば話すほど思い出していった。男子校ならではの、馬鹿みたいな爆笑エピソードが次から次へと掘り起こされた。この面白さを共有できるのは同じ高校に行っていたこいつらだけなんだと思うと、さらに笑いが加速した。
終電まで飲んで、また集まることを約束して、解散した。
不思議な気分だった。
この同級会での仲良し感や一体感は、僕の高校時代の記憶と、全く違ったものだったからだ。
僕の高校時代は、混乱し、暗くて、孤独で、寂しくて、情けない、そんな3年間だった。
クラスで、他の子たちはそれぞれ輪を作って楽しく話したり遊んだりしているのに、僕はどの輪にも入れず、1人ぼっち。
「1人ぼっちなところをクラスメイトに見られている」と思うと、恥ずかしさで身がすくんだ。
学食でも、一緒に食べる人はいないんだけど、ぼっち飯だと思われたくもないから、適当なグループのそばでそっと食べる。
学校帰りにどこかに寄りたいけど、誘う友だちがいないから、一人でケンタッキーに行く。
部活にでも入れば仲間ができるかと思い、アメフト、剣道、バドミントン、いろいろやったが、どの部活も長続きせず、幽霊部員に。
中学時代にいじめられていたので、高校では、「とにかくいじめられたくない」という気持ちが先に立って、ビクビクしていた。
だから、打ち解けて気持ちを楽にして同級生と交流することができなかった。3年間、ずっと「失敗した」と思っていた。大学ではもっと明るく楽しく振る舞おう、高校生活は諦めよう、そんな風に考えていた。
なのに。
同級会に参加してみたら。
まるで、ぼっちでも暗くもなく、普通の高校生活をエンジョイしていたかのようだった。
参加していた誰も、「清田、変わったな」とか「清田、明るくなったな」とか言ってこなかった。逆に「清田のそのツッコミ、懐かしいな〜」とか「清田が来るっていうから参加したわ」言われたりした。
楽しいエピソードも、次から次へと出てきた。高校当時の僕は僕はそのエピソードに参加はしていなかったかもしれないけど、それを目撃できる場には確かにいて、一緒に楽しんでいたらしい。
これはどういうことなんだ?
ひとつの可能性として、みんな大人になって、高校時代のネガティブなことは敢えて言わないでおいてくれたのかもしれない。
それでも、集まった人たちが口々に「懐かしいな清田!」と言うくらいには覚えられていたということ自体が意外だった。
もうひとつはの可能性は、僕が自意識過剰だったということ。
「他の人は仲良く話している/僕は一人で席に座っている」というシーンが自分的に辛すぎて、そればかり強く記憶に残ってしまい、そういう時以外の、普通にみんなと楽しくしていたときのことは忘れてしまっていたのかもしれない。
いや、でも……
確かに、ぼっちで寂しかった記憶があるんだよな……
「輪に入りたいけど入れない」というもどかしさを感じていた記憶が強いんだよな……
でも、同級会では、欠片でもそれを再体験するような出来事がなかったんだよな……
ただただ楽しく会話できたんだよな……なんかみんな仲良しだったんだよな……
まぁ、みんなに「ねぇ、高校の頃の僕ってどんな感じだった?」と聞いて回ったわけではない。
もし聞いていたら、多少なりとも謎は解けたかもしれない。たとえば「なんか変わったヤツだなと思ってたよ。話しにくかった」という感想が出てきたかもしれない。
けど、高校時代、自分がどうだったかを確認して、一体どうなるというのだろう?
大事なのは、たとえば30年後に集まって、当時の思い出や近況を楽しく話せるような仲間を再確認できたことの方なんじゃないか?
人間万事塞翁が馬であり、何が良かったか、何が悪かったかは、意外とわからないものだ(大昔にもそんな記事を書いたことがありますね。よかったらご覧ください→熊野で起きたプチ奇跡のメモ)。
高校時代の自分は、失敗や後悔も含めて、全部あれで正解だった、ということなのかもしれない。
高校時代の、上手く振る舞えなかった自分は、もう許してあげようと思った。